旅をしていると、世界のあちこちで野生動物を保護する活動に出会います。
アフリカのサバンナで国立公園が野生動物の管理や保護をしていたり、
絶滅危惧種の保護をしている団体もたくさんあります。
それぞれの活動はもちろん大切だと思いますし、
動物を愛する人々のボランティア精神に心をうたれることも多いのですが、
いつも、どうしても自分の中で違和感が拭いきれない言葉があります。
それは、「保護」という言葉です。
人間が大量に捕獲したり、自分勝手に開墾したり戦場に変えたりすることで
動物たちの居住区を奪っておきながら、絶滅寸前になったからといって、
今度は「保護」をする。そのことで、さらに自然のサイクルを狂わせる。
この負の循環を繰り返して来た根源に、「保護」という言葉に含まれる
人間のエゴ意識があるように思うのです。
人間は強いから、弱い動物を保護しなくちゃいけないとか、
人間には知性や理性があるから、
本能だけで生きている生き物を守らなくてはいけないとか。。。
人間は常に「上から目線」で環境や他の生き物を「コントロール」しようとする。
でも、果たして人間の知能が動物よりまさっているのかなと、時々、疑問に思います。
長い地球時間や宇宙時間の中で、種として変わらす生き延びてきた生き物のほうが、
真に知能が高いといえないでしょうか。
コアラやクジラは何千万年も変わらずあの姿のまま生きてきたそうです。
「理性」についてもどうでしょうか。
「理性」のある生き物が、戦争をおこして殺しあったり、
目先のことだけ考えて自分たちで自分たちの首をしめる
今のような環境破壊をするでしょうか。
心地よさを追求して発展してきた人類の文明のはずなのに、
空気や水が汚れ、人工物が乱立する、こんな今の世の中を
心地いいと感じる人がいったいどれだけいるでしょう?
「弱肉強食」という言葉には、
強い生き物が弱い生き物の命を奪って食べるというイメージがありますが、
逆に、強い動物が、弱い動物から命をいただいて生かされていると考えれば、
弱い生き物が、強い生き物を養ってることになり、
こうして見方を変えるだけで、上下関係は一気に逆転します。
つまり、どちらが強いとか上とかではなく、
大きな循環の輪の中で、生かし、生かされながら、
ほかの生き物と一緒に生きることが「生」の本質なのだと思います。
今、人間がこのような生態系の輪の中に戻らなくてはいけない時が
来ているのだと思います。
戻ると決めることが、真の知性なのではないでしょうか。
動物と人間の垣根は、人間が上から目線で見ている限り現存してしまいます。
これは、人種間や国同士にも言えることで、たとえば、紛争や飢餓に苦しむ人たちを
ただ「かわいそうだ」と思って見ている限り、この格差のようなものは
なくならないのではないでしょうか。
すべての生きとし生けるものの命は同等(フェア)で、
お互いの考えていることがわからないからといってないがしろにせず、
畏敬の念を持ち、学び合い、お互いの立場を尊重して生きていけば、
いつか国境だってなくなる日が来るかもしれない!と思います。
大切なのは、みんなが意識を変えることなのだと思います。
KISANA LINESは7世代先の子供たちに映像物語を届ける図書館です。
常に視線を7世代先に向けていたいと思っています。
今、ここに存在していることに感謝し、
生きる喜びに満ち足りた世界を
未来に届けたいと願います。
KISANA LINES 映像作家