なぜ花は匂うか

 

 

3月になりました。

風の中にふんわりと春のいい匂いがします。

 

 

 

 

 

撮影で世界各地を旅をしましたが、思い出には必ず匂いがセットになっています。

 

 

 

ポルトガルの海辺の町の裏通りでは七輪のようなものでアジが焼かれていて、日本の田舎の昔懐かしい匂いが漂っていました。

 

 

 

 

 

 

燻された煙の香りに出会うと、

どんよりと雲が垂れ込める平原に、ピート(スコッチの原料であるモルツをいぶすために使われる植物が堆積した土)がいたるところに掘り返されているスコットランドの風景を思い出します。

 

 


 

 

 

ヒョウがインパラを襲い皮を裂くのを見た時に嗅いだ強烈な血の匂いは、

サバンナで見た降るような星空とセットになって身体の奥に染み付いていています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日本植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎さんの書かれた「なぜ花は匂うか」という本を読んでいます。

 

 

 


 

 

牧野富太郎さんは小学校を中退し、野原の植物に独学で学び、やがて東大で理学博士として植物分類学の研究に打ち込むまでになります。

 

「私は植物の愛人としてこの世に生まれてきたように感じます」と言われているように人生を植物の研究に捧げ、94年の生涯で収集した植物の標本は約40万枚、蔵書は4万5千冊もあり、1957年には文化勲章も受章されています。

 

 

 

 

 

 

一つの花に雄しべと雌しべがあるのに虫たちに他の花の花粉を運ばせるのは、雄しべと雌しべの発育のスピードが違うからで、これで近親での結びつきを避けているとか

 

菊の花はひとひらひとひらが一つの花でそれぞれに雄しべと雌しべがあるとか

 

葉脈に沿っていかに水が根元まで運ばれるとか

 

 

 

観察することによって蓄積されていった牧野さんの知恵に目を開かれる思いです。

 

 

 

 

 

 

さて、その「花はなぜ匂うのか」の本の中に、私がこのブログでも何度か書いている長年のテーマ「人間の本来のかたちとは」のヒントになる記述を見つけました。

 

 

「植物は人間が居なくても少しも構わずに生活するが、人間は植物がなくては生活のできぬことである。そうすると、植物と人間を比べると人間のほうが植物よりも弱虫であるといえよう。」

 

 

「人間は植物に感謝の真心を捧ぐ冪である。」

 

 

 

まさに、その通りだと思います。

 

 

そして、思いました。人間がいないと困る生き物はいるのかなと。

 

 

 

 

 

 

確かに、稲や芋などは人間が主食にしたおかげで繁栄した植物だと言えます。

ですが、収量は人間によってコントロールされ、あげくに交配や遺伝子組み換えまでされて人間のコントロール下におかれています。

 

 

人間以外の生き物で、他の生き物をこんな風にコントロールしているものっているでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

弱肉強食と言われる食物連鎖の関係性で言うと、ある意味、強者は弱者に支えられて存在しています。

 

ですから、強者は必要以上に弱者を犠牲にしません。

 

 

 

 

 

 

子孫を残すことが使命のすべての生き物にとって自分たちの生命線を絶つようなことをすれば、種が存続できなくなるのですからそんなバカな真似はしませんし、

 

 

考えてそうなっているのではなくそれぞれが本能のままで生きているだけでバランスが取れているのが自然の素晴らしさで、自然(地球)そのものが大きな生命体なのだと思います。

 

 

 

 

 

 

地球に住む生き物はすべて、自然から生まれました。

 

自然にはそぐわない生き物は、いずれ消滅するでしょう。

 

 

恐竜がそうでした。

 

 

人間は恐竜と同じように滅びてしまうのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

自然に必要だと思ってもらえる生き方をしたいと思います。

 

 

人間がいることで、他の生き物に感謝してもらうように生きるにはどうしたらいいのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

自然にとって有効なもので、人間にしかできないこと。

 

 

 

それこそが、人間の本来(自然)のカタチなんだと思います。

 

 

 

「本当の人間」探し。

 

まだまだ道なかばですが、大切なヒントをもらった気がします。

 

 

 

 

 

 

 

「花は黙っています。それだのに花はなぜあんなに綺麗なのでしょう?

なぜあんなに快く匂っているのでしょう?

思い疲れた夕など

窓辺にかかる一輪の百合の花を

じっと抱きしめてやりたいような思いにかられても

百合の花は黙っています。

そしてちっとも変わらぬ清楚な姿でただじっと匂っているのです。」

 

 

牧野富太郎「花はなぜ匂うか」(1944年82歳)より

 

 

 

 

 

文:映像作家 桐子

写真:森のカメラマン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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