木にくるまる
九州にある楠の原生林を歩きました。
楠は、日本各地の神社で見かけることが多いですが、
原生林としてはここが北限なのだそうです。
家の近くにも御神木としての楠が立っていて、
前を通りかかるたびに手を合わせるので
自分にとっては親しみのある大好きな木です。
そんな楠が、何百本も、しかも自然に立ち並んでいると聞いて
楽しみに山を登りました。
ちなみに、日本は国土の67%が森林で
世界の中でも緑の多い国ですが、
そのほとんどが植林されたりなんらかの形で人の手が入っていて、
原生林と呼べる手付かずの森は4%しか残されていません。
原初の頃から続く森に分け入ります。
様々な形や大きさの楠が乱立しています。
これまでに持っていた楠のイメージは
「どっしりと構えた優しいお母さん」でしたが、
ここに生えている楠たちは
自由に好きな方向に手を伸ばす、
なんだかおてんば娘たちのようです。
カメラを持って森に入ると、
いつもカメラが自然との橋渡しをしてくれているような
気がします。
ファインダーを覗くと、
普段、見せないような表情を森が見せてくれるのです。
キラキラと緑の葉の上を遊ぶ光のしずく。
時には雨でもないのに、
本当の水のしずくが木の上の方から落ちてくることもあります。
森を歩くと、自分のどこかが
どんどん研ぎ澄まされていくのがわかります。
目や耳や鼻などの器官が鋭敏になるというよりは、
皮膚のちょっと外側にある、
自分を纏ってるセンサーのようなものが
何かを捉えることに意識を向ける感覚です。
その感覚に導かれるように、
その方向にただレンズを向け続ける。
そして、レンズ越しに対話するように
木々の表情を撮りながら歩きます。
原生林の奥まったところで、
「孫の木」と書かれた巨大な楠が待っていてくれました。
「待ってくれていた」と書いたのは、
その木をみた瞬間、
なぜか「間に合ってよかった」と聞こえた気がしたからです。
「長い間、待っていてくれて ありがとう。」
太い幹のそばまで行って、そっと手を触れました。
いつも楠に感じる「優しさ」に加えて、
なんだか懐かしい感じもします。
ー私たちと同じように呼吸をして生きている大きな生き物が
そこに立って出迎えてくれているー
そんな、あたたかな気配です。
しばらく孫の木と再会を喜び合うような時間を過ごしたあと、
孫というからには、
おばあちゃんがどこかにいるはずだと探すと、
山の斜面を少しだけ降りたところに、
一際、大きな木が立っています。
節くれだった手で孫たちをあやしてるような枝々。
おばあちゃんの木のそばに立っていると、
なんだか抱っこされているような安心感に包まれます。
見上げると、木の上にはわさわさと葉っぱが茂っていて、
そこはまるでAnother Forest。
もう一つの森で暮らす鳥たちの声も聞こえます。
しばらく森の中にたたずんでいると、
私のセンサーがあることに気づかせてくれました。
足元に波打つ鼓動。
私が立つ地面の下に
木々の根っこがどこまでも広がっているのを
リアルに感じることができたのです。
手を広げてくれているようなおばあちゃんの木の枝と、
この張り巡らされた根っこで、
私はその時におばあちゃんの木に
実際に、抱っこされていたのだと思います。
斜面の上にある孫の木の根っこと、
おばあちゃんの木の根は、
きっと、地面の下で重なり合っていて、
養分と一緒に、
おばあちゃんの知恵も
孫たちに受け継がれているのでしょう。
見えている部分だけが木ではないのですよね。
木の枝の先々に芽ぶく葉っぱから、
太くて力強い幹、
そして、地面の下を這う根っこまで全部が木で、
私たちは、地球上で、
木にくるまれて生きているのですね。
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この時に撮った映像を日記風の小編にまとめましたので、
良かったら見てください。
https://kisanalines.com/stories/series/happyplanet/happyplanet_03/
これからも、旅先で感じたことを
映像日記に綴っていきたいなと思っています。
これからもよろしくお願いします。
文:KISANA LINES 映像作家
写真:Ryohei Iwaki