木を見守る人

 

 

8月9日は世界先住民の国際day。

そんな日に、沖縄にて、KISANA LINES映像図書館の「上映会+旅のおはなし episdoe.1」を開催させていただきました。

 

 

 

 

 

 

会場は那覇にある大好きな「Book&Cafe hall ゆかるひ」さん。

オーナーのセンスが光るセレクトで集められた本に囲まれながら、地元オーガニック野菜をたっぷり使ったお食事やスイーツが味わえるカフェです。

 

 

 



実はここは本だけでなく、種もストックされていて、SEED libraryとして種を借りることができます。

 

 

 

 

借りた人は種を植え、育てて、次世代の種を採取して返すシステム。

沖縄の固定種を未来に届けたいというオーナーの想いが詰まった素敵な試みです。

 

 

 

 

 

このBook&cafeに隣接するhallも木の温かみがある心地のいいスペース。

大きなスクリーンに、木でできたデッキのようなステージがあって、とにかく、全てがナチュラルなホールです。

 

 


 

 

集まってくださったみなさまも、ゆかるひさんの活動に賛同される方たちはじめ、KISANA LINESの想いに共鳴してくださった方が多かったおかげで、

緊張でうまく話すことのできない私を最後まで優しく見守ってくださいました。

 

 

 

 

 

さて、今回、上映した作品のお話です。

 

Openingには、KISANA LINESの「声ものがたり」の「宇宙(そら)ごよみ episdoe.2 森のかみさまと海のかみさまが結ばれて」を上映しました。

 

 

 

 

これは、KISANA LINESの様々な作品に楽曲提供をしてくださっている新屋賀子さんが作詞作曲され、自らピアノを弾き歌っておられる「いのちの地球(ほし)」という曲に、KISANA LINESの森のカメラマンと海のカメラマンが撮った映像をコラージュして作った作品。

 

 

 

 

たくさんの災害に見舞われる地球のことを心配して、ともすれば不安になる私たちですが、地球はその真ん中にあたたかなハートがあって、そこは決して傷つくことはなく、生き生きした生命力に溢れていて、逆に私たちを五色の光で守ってくれているという、新屋さんが実際に見た夢を元に生まれた音楽。

 

その音楽に寄り添うように、森と海は別れていなくて、大きな地球という生命の巡りの中でひとつにつながっているのだというKISANA LINESのコンセプトを重ね合わせ、静謐な水をたたえた屋久島の森を縦糸に、海の生き物たちを横糸にタペストリーのように映像を紡ぎました。

 

ちなみに、新屋賀子さんは、この「いのちの地球(ほし)」という曲を1000人で合唱するというプロジェクトを進められています。1000人の美しい歌声が未来まで響きわたれば素敵ですね。

詳しくは「いのちの地球1000人合唱」で検索してください。

 

 

続いて、今回のイベントの主題である「木を見守る人」。

 


 

 

実は、この物語の主人公、ニュージーランド先住民マオリのグレイスさんは十数年前にテレビの旅番組の取材で撮影させて頂いたことがありました。

 

番組撮影時、グレイスさんのお話ひとつひとつの意味深さに、〝この言葉は次の世代にまで受け継いでいかなくてはいけない。いつか、もう一度、撮らせてもらおう〟と、心の中で誓いました。

 

 

そして、グレイスさんに再会する時がやってきました。

 

 

 

 

グレイスさんは、すでに、この時、80歳を超えておられていて、歩くのも辛そうでしたが、私の願いに応えるために、森の長老と呼ばれる木のところまで案内してくださいました。

 

 

 

 

グレイスさんは、森の木々を守る役目を代々担う家族に生まれ、

生まれた時からずっと森のそばに住み、木々と一緒に暮らして来ました。

 

 

 

 

全てのマオリの人には生まれた時から何かを守る役割があり、その役割のことを

「カイティアキタンガ」と言います。

 

 

私はグレイスさんに「グレイスさんのカイティアキタンガである木を守る」とは具体的に何をするのですか?と尋ねました。

 

 

 

すると、グレイスさんは言いました。

「ただ、そばにいて、見続けるのです」と。

 

 

 

 

 

 

 

手を出さず、ただ見続ける、それだけで守られるものがあることをグレイスさんは

時々、マオリ語を交えながら話してくださいました。

 

 

 

 

 

 

我々は、守るために過剰に保護したり、つい何か行動をしようとしてしまいますが、例えば、虫が増えて木が倒れても、それは大きな森の循環の中で起こっていること、

 

生も死も森の一部で、我々も森の一部として守られ生かされている立場なのだから、ただ大地の上に座り、見て感じていればいいとグレイスさんは言いました。

 

 

感じたことは大地を通して、森に伝わり、

 

必ず未来にまで伝わるからと。

 

 

 

 

 

 

人は長生きしても100年余りの命です。

樹齢数千年の木を代々見守ってきた家族だからこそ見えるものがあり、その言葉には真実があると思いました。

 

 

 

上映後、少しでも多くグレイスさんの言葉を伝えたくて、映像に入っていない言葉や私が知っている限りのマオリの文化について話しました。

 

 

 

 

 

 

皆さんに書いて頂いたアンケート用紙を読ませていただくと、私の拙い話でも、響いてくださった方が多かったことを知り、本当に嬉しく思いました。

 

 

 




 

 

 

 

集まってくださった方それぞれに感じてくださった想いが、タンポポの綿毛のように風に乗って旅を続け、いつか未来で花を咲かせればいいなと願います。

 

 

 

 

 

 

今日のブログは、ホールを貸してくださったゆかるひさん、イベントに集まってくださったみなさま、手伝ってくれた沖縄の仲間たちへのお礼の気持ちを込めて書きました。

 

 

 


 


 

 

 

 

 

マオリの人々は太平洋の島々を航海したアイランダーです。

沖縄の人々の伝統や習慣に近いものがあると感じます。

いつか、沖縄の物語も映像に紡がせてもらいたいなと思います。

 

episdoe.2、グレイスさんのお孫さんのお話も、完成したら、ぜひ、沖縄で上映させてください。

 

 

ありがとうございました。

 

 

文:KISANA LINES映像作家 桐子

写真:アニー梅本

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マタリキ

 

今日はニュージーランド先住民マオリの人々の新年「マタリキ」です。

 

マタリキとはプレアデス星団のこと。

日本では「昴」として知られていますが、プレアデス星団は数百もの恒星が

集まってできている星団で、肉眼でも6つは確認できます。

 

 

 

 

 

 

そのプレアデスが夜明け前、ニュージーランドの東北の空に上がってくる日を

マオリの人々は新年として家族が集まってお祝いをします。

 

南半球のニュージーランドでは6月から7月にかけては冬の寒さが深まる時期で、

マタリキを祝う1週間は、亡くなった人の魂を尊び、送り出すのだそうです。

少し、日本のお盆にも近い感じでしょうか。

 

 

 

 

 

 

日本では24節気など太陽の位置によって季節を図りますが、

マオリの人々は星に寄り添って生活しているのですね。

 

星を道標に航海し、1000年ほど前、ニュージーランドに

たどり着いたマオリの人々にとって、

夜空の星々はまさに命綱のような存在だったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

全くの私見ですが、私が旅した世界の中で、

 

空に一番近い場所だと感じたのがペルーの山岳地帯で、

 

 

 


 

 

宇宙に一番近いと思ったのが、ニュージーランドでした。

 

 

 

 

 

 

ニュージーランドの夜空を初めて見たときは、その星の数の多さに圧倒されました。

 

草むらに寝転がって星の瞬きに目を奪われていると、

自分が宇宙にいるのだとリアルに感じられます。

 

 

 

 

 

 

だから、私にとってニュージーランドは宇宙に一番近い場所なのです。

 

 

 

ニュージーランドの星が美しいのは、ニュージーランドの夜が暗いからです。

 

 

 

「星空保護区」という

国際ダークスカイ協会という機関が、暗く美しい夜空を保護・保存するために

2001年に制定した国際認定制度があります。

 

認定を受けるためには、屋外照明に関する厳格な基準をクリアすることや、

地域における光害に関する教育啓蒙活動が求められ、

現在では10万平方kmの夜空を保護してるそうです。

日本では、西表島や神津島、もちろん、ニュージーランドも保護区に入っています。

 

 

星空を保護区にするなんてロマンチックだなと思いましたが

逆にいうと、保護しなくてはなくなってしまう危険性があるからだと思うと

複雑な気もします。

 

 

日本はもうすぐ七夕。

 

少しでも広くて美しい星空を未来の子どもたちに残してあげられたらと思います。

 

 

 

文:KISANA LINES 映像作家

写真:森のカメラマン

 

 

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覚え書き

 

 

2021年3月11日。

 

 

「あれから10年、痛みを忘れずに、、、」

というキャッチコピーがよく目につくここ毎日でした。

 

家族を奪われ、家や住む場所を失い、変わることを余儀なくされた人にとって、

「忘れないで」という言葉はどのように感じるのでしょうか。

10年経ち、やっとの思いで悲しみからの一歩を踏み出せた人も多いでしょう。

そんな方達にとってみれば、「忘れないで」と言われるまでもなく、

今も、忘れたくても忘れられない大きな痛みなのだと思います。

(少しでも、その痛みに寄り添えればと心から願います。)

 

 

 

 

では、「忘れないで」いなくてはいけないのは誰なのか、

それは、痛んでいないほうの人たちだと思います。

 

そして、痛んでいない人に向けることばは「忘れないで」ではなく、

「まずは、知って欲しい」です。

 

 

 

 

まだ原子力発電所は、動いているものも、止まっているものも合わせて

全国に19箇所も立っています。

全てが海沿いに建てられ、冷却水は海に放出され続けています。

海の生き物たちは、否応なく、今この瞬間にもその水を飲み続けています。

今なお、危険な場所で仕事をしたり、暮らしている、人やほかの生き物も

たくさんいることを、まずは知って欲しいと思います。

 

 

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今日、自分の人生におけるこの10年のことを振り返り、

見つめ直す時間を持たれている人も多くおられると思います。

 

 

 

 

KISANA LINESを応援してくださってる方々の中には、都会から地方に移住し、環境に調和した新しい生き方を選んだ人も多いかと思います。

 

自分たちの食べ物を自給できるところまできてる人にとっては、努力の甲斐があった10年だったと思います。

 

 

 

 

この10年で地元のご年配の方たちと良い関係が築けた人もいらっしゃるでしょう。

 

より自分にあった職場や仕事を見つけ、愛する家族やまわりの人々に喜びを与える

生き方にシフトされた方もいるでしょう。

 

 

そんな人たちも、今一度、今日は自分自身の生き方について見つめ直してみませんか。

 

 

いつしか、最初の思いの「自然との調和」より、「快適」な方へと暮らしが流されていないでしょうか。

次々と生み出されるテクノロジーに翻弄され、周りの環境を見つめる時間が減ってはいないでしょうか。

 

 

 

 

都会に住む人にとっては、いまは違う苦境が人生に押し寄せているかもしれません。

毎日の暮らしに精一杯で、自分が自然の一部であることすら、忘れてしまっている人も多いと思います。

 

 

どんな環境にいる人にとっても、よく目をこらすと、今、社会にあるすべての問題は、実は全て同じ根っこからきていることに気付かされます。

 

 

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「根っこ」自体を引っこ抜くのは個人の力では、なかなか容易いことではないでしょう。

 

ただ、我々にできることがあります。

 

それは、とにかく「目を向ける」こと。

 

まわりの何かや、ましてや自分を責めるのではなく、

 

問題に「まなざし」を注ぎ続けること。「感じ続けること」。

 

そうしていると、必ず、「見えてくるもの」があります。

 

 

 

 

見えれば、見えたものを「表現する」ことが私たちにはできます。

それぞれの立ち位置で、それぞれが得意なことで、できることが

必ず見つかると思います。

 

 

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年末、どれだけ一生懸命に大掃除をしても、1週間もすれば、自然と埃は積もるし、窓ガラスは曇ります。

綺麗さを保とうと思うと、こまめにに掃除をし続ける必要があります。

 

修行をして「覚醒した」と思っているお坊さんでも、覚醒しているためには、修行し続けていないといけないといいます。

 

それと同じで、自分の心の中や生き方もいつも注意していないと、やっぱり汚れたり、散らかったり、曇ったりするのだと思います。

 

 

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今日、10年前の「志」を思い出した人も、思い出したからOKなのではなく、その「志」をどうか日々、磨き続けていただければと思います。

 

これは、自分への覚え書きとして、今日、ここに書いておこうと思います。

 

 

 

 

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これから、本格的な春が始まります。

色々なものが暖かさに緩み始めます。

希望が見える季節でもあります。

 

でも、そんな時だからこそ、今年は少し、心を引き締めて、

自分の感覚に敏感でいたいなと思っています。

 

 

 

 

 

10年前の今日、KISANA LINESの骨格ができました。

見守っていただいていることに感謝を込めて。

 

 

文:KISANA LINES 映像作家

写真:かれん、Chris

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ありのままで すばらしい

 

 

2021年になりました。

 

新しい年、書き初めをされた方も多いかと思います。

私は書き初めをする習慣はないのですが、もし、書くとしたら、

 

「ありのままで すばらしい」

 

と書こうと思います。

 

これは、新年を我が家で過ごしてくれたお友達の曲のタイトルです。

 

 

 

 

私は「ギフト エコロジー」という言葉が大好きです。

 

ミツバチが自分の喜びのために、花から花へと蜜を集めて飛び回ることで

植物の受粉を助け、結果的に生態系全ての循環が保たれていくこと、つまり、

与え合う(ギフト)ことで成立する生態系(エコロジー)という意味の言葉です。

 

この地球上の全ての生命は、「生きる」ことで、他者のために役立つように、元々、生まれついています。

 

生態系とは、持続可能にデザインされた宇宙の壮大な設計図のようなもの。

 

 

 

 

人間という種が、この持続可能な生態系の設計図の中でどうあるべきか。

今や、私の生きるテーマになっているかのように、繰り返し、ここにも書き続けている気がします。

 

なぜなら、現在の人間という種がまるでコンピューターがエラーを起こしているかのような行動をとっているからです。

 

 

 

 

競争社会や資本主義経済は、有限なものを貪り、搾取する世界。

そこに健全な循環は生まれません。

 

私たちの種の存続が危ぶまれるだけでなく、生態系を全滅させてしまう危険性を孕んでいます。

 

 



 

 

貧富の差が広がり二極化が進む現代社会に対抗する人々は「ユニティ(統合、融合)」を理想郷として掲げます。

ですが、私は、全ての人が同じになる必要はないと思っています。

 

みんなが、違いを持って生まれてきているのですから、違うギフトを持っています。

だとしたら、それぞれが持っているギフトを順に巡らせていくと、素晴らしく豊かな世界が生まれるのではないでしょうか。

本来の設計図は、そのようになっているはずです。

 

 

 

 

衣食住を賄うための交換ツール(お金)を得るのが得意な人がいれば、不得意の人もいる。

衣食住に必要なものを自分の手で作り出すのが得意な人もいる。

 

それが違いであり、それぞれの特性。

 

それを同じにするよりは、持っている人が持ってない人へと順にギフトをしていく。

それだけで、健康的な循環が生まれると思います。

 

その世界の中で、一体、誰が得をして、誰が損をするというのでしょう。

 

循環の輪の中では不公平は生まれません。円に始まりも終わりもないように。

 

 

 

 

全てのものがお互いの違いを非難するのではなく、認め合って、受け止め合って、

さらには、その違いを楽しむことができれば、この世界から競争や戦争はなくなるでしょう。

 

 

「あなたは、ありのままで完全であり、ありのままで すばらしい」

 

多様性を認め合う世界への歩みがさらに進む2021年になりますように。

 

今年もよろしくお願いします。

 

 

 

文:KISANA LINES 映像作家

写真:高橋華蓮

CATEGORY: お知らせ

タイムマシン

 

 

 

 

紅葉の見頃も終わり。

公園のイチョウの木の下には黄色の絨毯が敷き詰められています。

踏むと、カサッ カサッと乾いた音がします。

 

上を見上げると 青空をバックに1枚のイチョウが ヒラリと舞い落ちて来ました。

木からの贈り物のように感じて嬉しくなりました。

 

 




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先週は京都の鞍馬の山を歩きながら、たくさんの巨木、古木たちに出会いました。

 

樹齢800年のご神木を眺めながら、この木は、このあたりを駆け巡っていた牛若丸(源義経の幼名)がなくなった頃に芽を吹いたのだなと感慨に耽りました。

800年もの間、誰かに撫でられたり、話しかけられたり、よじ登られたり、その間にいくつもあった戦争だって見て来たのでしょう。木は全部を受け止めて静かにそこに立っています。

 

 

木って、まるでタイムマシンのようだなと思います。

 

 

 

 

 

 

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アメリカ人で日本に住む詩人のアーサー・ビナード さんが、ラジオの番組で作家・

三島由紀夫について話していました。

 

ちょうど、今年の11月25日で亡くなって50年。

 

三島由紀夫といえば、政治的な側面が取り上げられることが多いですが、

アーサーさんは三島由紀夫の文学者としての才能を高く評価していて、彼ほど日本語を愛していた人はいなかったと言います。

 

このままだと日本語がなくなってしまうのではないかという危機感を三島由紀夫は常に抱えていて、そのことが彼を政治活動へと向かわせたのではないかと。

 

アーサーさんはアメリカ人ですが、日本語をすごく愛していて、日本人以上に美しい日本語を話され、詩も日本語で書かれています。

そして、三島由紀夫に想いを重ねるように、「何があっても絶対に日本語をなくしてはだめなんだよ!」と、とても強い語調で話されました。(ピンと来ない人も多いかもしれないですが、アーサーさんは、この先、日本語がなくなってしまう可能性があることを本気で心配されているのだと思います。それは、はるか未来の文化人類学的な話ではなく、政治的世界観に基づく近未来についてです。もちろん、そうならないことを誰よりも願ってのことですが。)

 

その後にアーサーさんが話された言葉がとても印象的でした。

 

「僕にとって『言葉』は過去の人と話す『通信機』なんだ。だから、言葉をなくしたら、もう昔の人と通信できなくなってしまうんだ。。。」

 

最後はとても悲しい口調でした。

 

 

 

 

 

これまでにも何度か書きましたが、私も「言葉」は過去の人の思いを乗せた船で、

言葉が詰まった「本」はまさしくタイムマシンだと思っているので、アーサーさんのおっしゃってる痛みが胸の奥底まで響きました。

 

 

 

最近、新刊を出された私が尊敬している絵本作家の阿部海太さんも

 

「著者の行ったことのない場所へ本は先にたどり着く。

著者が死んだ世界を本は生き続ける。

僕の絵本よ。このまま距離も時間も越えていけ。」

 

と書かれていて、まさに、、、と思いました。

 

 

 

過去に生きていた人も、今、私たちが少しでもより良い未来になるように願っているのと同じように、たくさんの想いを未来にいる私たちに送ってくれていたのだと思います。

 

未来を見据え、未来のために尽力し、志半ばで力尽きてしまった人も多くいたはずです。

 

本を開くと、過去の人が感じていたこと、見ていたもの、その頃の世相など、色々なことが伝わって来ます。

 

 

 

 

 

私たちは、今、突然にここにいるわけではありません。

 

過去の人が植えてくれた樹を切って、家を建て、

過去の人が植えてくれた樹から、柿や栗などの恵みをいただいています。

 

 

 

 

 

もし、過去の人が未来のことなど気にせず、

 

海の魚を全て捕り尽くし、

山や森の木々を伐採して丸裸にし、

虫や動物は皆殺しにして標本にし、

植物や野菜は種を加工して工場で大量生産され、

川や池の水は悪臭が漂い、

マスクをしないと外を歩けないほど空気はウィルスだらけで、

空は灰色なのが常識で、、、

 

 

もし、祖先がこんな地球を私たちに残していたと想像してみてください。

 

 

 

 

私たちは、どんな地球を未来の人たちに残してあげることができるのでしょう。

 

 

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KISANA LINESは7世代先、300年先の人にこの愛おしい地球にある全ての自然を見て欲しくて始めた映像図書館です。

 

それは、それが残っていないだろう未来のために、記録として残しておくというのが趣旨ではありません。

 

未来の子どもたちに、300年前に生きていた祖先がどれだけ未来に生きる人たちのことを想って、どれだけ本気でこの美しい地球を大切にしていたかを知ってもらえるような物語を残そうと想っているのです。

 

 

 

 

 

どうか、未来にもっと眼差しを向けてください。

 

今の私たちの行動全てが未来に繋がっていることを常に意識してください。

 

 

 

 

 

いつか未来の子ども達が、透き通った海を泳ぎながら美しいサンゴ礁にうっとしり、ああ、祖先(私たち)の人たちが大切にしてくれたおかげで、この美しさを味わえているんだな~、僕たちもこれを綺麗なまま未来に残してあげよう、、、

 

と想ってくれるように。

 

 

 

 

今夜は満月。

そして、明日から12月。

2020年もあと少しで終わります。

 

 

文:KISANA LIENS 映像作家

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自然でいること

 

 

早いもので、今日はもう秋分です。

(9月22日の夜に書いています。)

 

あんなに暑さにあえいでいたのが嘘のように、もう朝晩は肌寒く、、、

季節の変わり目の突然さに取り残されないように、

走って追いつこうとして、転んで、泣いたり、笑ったり、

 

 

 

 

そんな私たちを乗せて、地球はどんな時も絶え間無く回り続けています。

太陽も、月も他の惑星たちも、宇宙全体が、ずっとずっと動き続けています。

 

 

 

 

この世界には、止まっているものは何もありません。

じっとしていても、私たちの細胞は常に振動しているし、

私たちが自分の体だと思っているものも、

分子がくっついたり離れたり常時入れ替わっているので、

実は、数ヶ月前の自分の体はもうここにはありません。

毎日のように私たちは生まれ変わっているのです。

 

そういう意味では、山も動いているし、森も動いています。

 

 

 

 

では、全てのものをこうやって動かしているのはいったい誰なんでしょう。

 

 

それが自然なんですよね。

 

私たちは自然に生まれてきたし、自然に土や空気に還ります。

紛れもなく、私たちは自然の一部です。

 

 

 

 

 

それなのに、人類の歴史を振り返ってみると、そのほとんどが自然に対抗したりコントロールしようとしてきた歩みに思えてなりません。

山や森を切り崩し、我々の命綱である空気や水を汚し、生態系を破壊する。

 

人間以外に、自然に逆らっている生き物っているのでしょうか。

 

人間て、ほんとうに変な生き物ですよね。

 

 

 

 

全てのものは、そこに生きているだけで、それぞれの働きがあると思います。

ただ座っているだけでも、私たちは息をしています。

私たちが吐いた二酸化炭素を吸って木々は生きています。

 

目に見えなくても、自覚していなくても、すべてのものは自然な働きをしています。

 

 

 

 

 

病気になった人の家の周りに、その病気に効く薬草がはえると言われるように、

陰陽の法則しかり、

俯瞰で見ると、全てはバランスを保つように、めぐりめぐって影響し合ってるのだと思います。

 

それが自然の働きなのだとしたら、自然を邪魔せずにいることこそが、

まわりのため、ひいては地球を助ける、最善の生き方だとわたしには思えます。

 

 

自然には、はかりしれない力があります。

 

私たち人間が作りだした不自然な環境は、必ずや自然の状態に戻されます。

その揺り戻しの力が破壊的なものになるまでに、あまり時間は残されていないように思えます。

 

 

 

 

では、いったい、私たちが最も自然であるのはどんな状態なんでしょう。

 

これは、とても難問で、前にもここで書いたことがあります。

ライオンがライオンであるように、ペンギンがペンギンであるように、

人間が人間である自然のかたちとはいったいどういうものなのか。

 

 

 

 

ペンギンは、もしかしたら、海の中で魚を捕まえる技術は日々の努力で上達しているかもしれませんが、ペンギン自身の本来の力以上に頑張ることはしないと思いますし、ペンギンがペンギン以上の能力を持ってしまうと、ペンギンではなくなってしまうでしょう。

それに、もちろん、ペンギンが異常なほど漁が上手くなれば、海の中の秩序は乱れてしまいます。

 

 

 

でも、もし、ペンギンが漁の能力を少しあげ、ほかの魚たちも逃げる能力を少しあげたなら、そこにはバランスが生まれるのかもしれません。

 

冒頭に書いたように、すべてのものがいっときもとどまることなく変化を続けている世界で、まわりのものとバランスをとりながら、それぞれのパフォーマンスを上げていくことができたとしたら、それは、まさに、フリーエネルギーのように、スパイラルに循環していけるのかもしれないですね。

 

でも、それが果たして自然なことなのか。。。

考えだすと、わからなくなります。

 

 

ただ、自然にいること。

 

 

それは、考えることと対極にあるものなんだろうと思います。

考える能力を進化させてきた人間にとっては、それが、一番むずかしいことなのかもしれません。

 

後戻りをせずに、自然の輪の中に還るために、新たな知恵が必要です。

 

 

 

2020年9月22日の22時31分が今年の秋分点。

その時間に世界中の多くの人たちが、瞑想をしながら平和を祈ったそうです。

 

「思考」の世界から距離をとる「瞑想」には一つの可能性があるように思えます。

 

コントロールすることを手放すこと。

委ねること。許すこと。慈しむこと。愛おしむこと。

 

少し、宗教的だったり、哲学的だったりに聞こえるかもしれませんが、

私は人間本来の自然な状態は、愛でいることだと信じています。

なぜなら、自分が愛に満ちていると、自分自身の内側がとても心地いいので、

まわりをコントロールしたり、破壊したり、攻撃したりしようとは思わないのです。

自分自身が調和しているのを感じます。

 

その状態で、まわりを見渡してみると、自然なものと不自然なものがはっきりと見えてきます。

そうすれば、不自然なものをどんどん手放していくのも簡単になる気がします。

 

最近、私は「氣を使う」かわりに「愛を使う」ようにしています。

いろいろなことがすごくスムーズに動きます。

調和や自然への第一歩かなと思います。

 

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今月中にオーガニックなお花を育てる花農園さんの少し長い作品をリリースするつもりでしたが、3月に咲くあるお花のカットをどうしても入れたくなって、来年まで待つことにしました。

 

そのかわり、稲穂が色づく9月の半ば、岡山でKISANA LINESの上映会をしていただいた時の会場が、まるで天空の城「ラピュタ」を思わせる見渡す限りの緑の山の上にある素晴らしい場所だったので、先にその物語を紡ごうかなと思っています。

古民家を再生しながらパーマカルチャー(持続可能な農業)を営む人たちの物語です。

今しばらくお待ちください。


 

KISANA LINES 映像作家

 

CATEGORY: お知らせ

こころの中の宝箱

 

朝、1杯のお水と一緒に、大切な本をゆっくりと味わいながら少しづつ読みます。

起きたての生まれたばかりのこころに、ことばが、透き通った水のように染み渡っていきます。

 

雑然とした思考や情報に汚されていない、こころ。

そのこころに ふってきた言葉をノートに綴ります。

言葉とこころがぴったりあってるか確かめながら、こころを見つめます。

 

 

お昼頃になると、日常に追われ、こころはすっかり違う場所になってしまいます。

夜、眠る前にもう一度、掃き清めればいいかと思って、1日を終え、たいていは疲れてそのまま眠ってしまいます。

 

 

ところが、朝、目覚めると、また生まれたての新しいこころがそこにはあります。

こころの汚れを夜の間にきれいに洗い流してくれる「眠り」は、なんてありがたいのだろうと思いながら、

いつものように本を楽しんだあと、文字を書こうとしてノートを開くと、そこには、昨日の朝に書いた言葉が、きのうのこころの模様として記されています。

 

それは、もう今の自分とは少し離れたところにあって、まるで他の人が書いたのではないかと新鮮に感じるほどで、それでも改めて腑に落ちる言葉や大切な言葉もあったりして、不思議な気持ちになります。

 

 

こころは、毎日、生まれ変わっているのだなと思います。

 

 

 

 

ただ、大事なところはおいておきたくて、

小さな箱にしまってこころの奥の奥の方にしまっておきます。

夜の眠りの波にさらわれてしまわないように、重石をつけて岩に隠れるようにそっと置きます。

 

 

 

 

その箱が何かの拍子に開くことがあります。

 

 

そこには、キラキラしたいろんな色をした光の石があって、ふわっと浮かびあがる

喜びに満ちた元気なもの、ワクワクした希望に満ちたもの、小さくてコロンと転がるもの、底の方にはどっしりと優しい色をたたえて鎮座したものもあります。

 

 

中に、悲しみの色をした貝殻も混じっています。

 

よく見ると悲しみの貝殻の中に、小さな涙の形をした真珠がちょこんと座っていて

凛とした光を放っています。

 

 

愛おしいなと思います。

 

 

いつか、人に言われた「悲しみの中にある愛に気づくために生まれてきたんだな」という言葉が蘇ります。

 

 

悲しみも捨ててしまいたくない、自分にとっては大切な宝物なんだなと思います。

 




 

 

昨日は夏至で、今日から少しづつ夜の時間が増えていきます。

そこには、寂しい気持ちが生まれますが、

この寂しさも、いつかこころの宝箱を開けたとき、

宇宙にきらめく星屑のように、美しいメロディを奏でる光の玉に変わっている

かもしれないなと思ったりもします。

 

 

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海のカメラマンが、海のある小さな町へと、昨日、旅立ちました。

海の中のどんな景色をこころに映して持ち帰ってくれるか、とても楽しみです。

 

 

文:KISANA LINES 映像作家

写真:海のカメラマン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CATEGORY: お知らせ

タンポポ

 

 

 

タンポポが大好きです。

小さい頃、お友達と、春の田んぼに一面に咲く蓮華とタンポポの花の真ん中に座って

暗くなるまで花冠を作っているのが至福の時間でした。

 

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これは、余談ですが、小さい頃にすでに「しあわせだな~」という感覚がはっきりとありました。

屋上で洗濯物をお母さんが取り込んでいる時、その横で乾いたシーツやタオルに顔をうずめ、肌に当たるあたたかい感覚と、私が「太陽のにおい」だと勝手に思っていたシーツの乾いた匂いを嗅いでるとき、子どもなのに「ああ、しあわせだな~」としみじみ思ったのをリアルに覚えています。

「蓮華とタンポポのお花畑」、「乾いた洗濯物の太陽の匂い」が今でも私の「幸せ」を象徴するもので、小さい頃の幸せの感覚って生涯、持ち続けるのだなと思います。

なので、もし、これを読んでくださっているお母さまがおられたら、子どもが幸せだなって口に出したり、幸せそうにしているとき、子どもなのに幸せなんてわかるのかしら?とは思わず、その状態をできるだけ持続させてあげてくださればと思います。

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さて、「タンポポ」に話を戻します。「タンポポ」の語源は、そのつぼみが和楽器の鼓(つづみ)に似ていて、鼓が「たん ぽん たん ぽん」という音を出すことから「タンポポ」と名付けられたそうです。

 

実は、このことを、昨日買った絵本作家の片山玲子さんのエッセイ集「惑星」を読んで、はじめて知りました。

 

 

 

歳を重ねても、毎日、多くのことを「はじめて」知ります。

 

私の名前は「知子」なのですが、名前のせいか小さい頃から「知る」ことが好きで、撮影に出かけた場所ではじめて出会った人からはじめて聞く話を嬉々としていつまでも聞き入ってしまいます。

話を聞くのに夢中になりすぎて、横でカメラを回しているカメラマンのことを忘れてしまい、重いカメラを肩に乗せたまま話が終わるまで撮影しなくてはいけないカメラマンをいつも困らせてしまいます。

 

私に限らず、人間は「知る」ことが好きなのだと思います。

「知りたい」欲求が科学や化学や物理、医学、量子学、哲学に至るまであらゆる学問の礎になってきました。

人の飽くなき探究心が人間の進化を促してきたのだと思います。

今でも毎日のように人は検索エンジンで何かを調べ続けています。

 

「知ること」は中毒になると思います。

はじめて何かを知った時の「わ~!」という感動と「へ〜!?」という驚きを求めて人はもっともっと知りたくなるのだと思います。

知った瞬間に「知らないこと」は「知ってること」、そのうちに「当たり前のこと」に変わっていきます。なので、興味はまた新たな知らないことへと向かい、さらに「探究心」の旅は続きます。

 

 

ただ、最近、思う時があります。

「知ること」で、「想像する」楽しさが減っていってるのではないかなと。

 

 

 

 

人は、ため息が出るほど美しい私たちの星を汚すだけ汚し、今度は、違う星へと興味を持ち始めました。今も日々、宇宙へ向けての探索機の開発が行われています。

 

ロケットが打ち上がる瞬間は本当にワクワクするし、宇宙への憧れは小さい頃から人一倍強い方だと自分でも思っています。

 

太陽の光を宇宙から届く贈り物だといつも思っているし、どんな時も、宇宙に浮かんでいる地球という星の上に自分がいるのだということを忘れることはないし、ほかの惑星への思いもつきません。

 

だからと言って、人類が宇宙をくまなく知り尽くすことに躊躇を感じます。

なんか、知ってしまうのはもったいない気がします。

知ってしまうと、何かを壊してしまうような感じがするのです。

 

人は何かを知るために生まれてきたのかもしれません。私たちが日々知ることをどこかにあるスーパーコンピューターがストックしてその知能をどんどん膨らませているという話もどこかで信じています。

 

でも、「知らないこと」「未知なるもの」への憧憬や想像力を失ってしまうほどまでには、大量に知らなくてもいいのかなって思っています。

 

毎日、溢れるほどの情報を知るより、

自分の人生の旅で出会う「わ〜!」「へ~!?」を大切に、知った時の「ワクワク感」を宝物のように愛おしみながら生きていきたいなって思います。

 

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少しだけ季節がずれてしまいましたが、新作「五月のある日の昼下がり」をリリースしました。

 

森のカメラマンが散歩の途中で出会った一瞬の輝きを、撮影して送ってくれた映像がすごく素敵だったので、私の見てみたい(知りたいに繋がりますよね 苦笑)と思ったショットを追加でリクエストして、美しい新屋賀子さんのピアノ曲に合わせて小さな作品にまとめました。

 

その見たかったショットというのは、タンポポの種が飛ぶ瞬間でした。

 


 

 

その種が地面に着地し、芽を出すところも見てみたいと、実は欲求はすでに進化していますが、それは「小さな種からなぜあんなに大木になるのか」の不思議さと共に、私の中の「想像の宝箱」に入れて人生という旅の道連れにしようと思っています。

 

 

6月の作品も楽しみにお待ちください。

 

 

KISANA LINES  映像作家

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くじらのみるゆめ

 

 

「未来に届ける映像図書館」KISANA LINESは今年2020年の5月5日で満7歳を迎えました。

 

「未来に届ける」ことをコンセプトにしたサイトでしたが、その時には、近い将来である7年後の未来がどのようになっているかでさえ(まさに今の状況を)全く想像はしていませんでした。

あまりの変動の速さに、タイムカプセルは1ヶ月どころか、明日に対してでも有効なのだと思う今日この頃です。

 

 

このコロナ騒動の間、何度かブログを書こうとも思いましたが、様々な境遇で様々に今の事態と向き合ってる人々を前にして、言葉がなかなか思うように出てきませんでした。自分の中でも整理がつかなかったからだと思います。

 

 

そんな時、いつも想像するのは、世界中で出会った動物たちのことでした。

 

カナダの北極圏で出会ったシロクマや、アフリカのゾウやサイ、ニュージーランドのアシカやペンギン、そしてKISANA LINESのシンボルにもなっている海の中のクジラたち。

 

彼らは、今、どんな風に、何を感じながら、彼らの世界で暮らしているのだろう。

想像をめぐらしました。

 

 

 

 

彼らにとっては近年、ずっとパンデミックな状況が続いているのだと思います。

 

前にもこのブログで書きましたが、私が見たシロクマは氷の上にはいませんでした。

氷が溶けてしまってないから、草原の上に寝そべっていました。アシカの赤ちゃんを狙う代わりに街のゴミ置き場に食べるものをあさりに来ていました。

 

 

 

 

ゾウやサイも心無いハンターたちに無残に殺され続けていますし、

海の中の生き物は否応なくマイクロプラスチックを食べ続けています。

 

彼らにとって、私たちの空気と同じように生きていくにはなくてはならない海の水が、ウィルスがはびこるように汚染されているのです。

 

それでも、彼らは反乱を起こすこともなく、宇宙からもらった「生命」という奇跡を絶やさないように未来につなぎ続けています。

 

 

 

 

 

 

たくさんのことを想いながら出来上がった、新作「くじらのみるゆめ」。

映像の絵本のような作品です。

 

 

 

 

 

映像の大半は、KISANA LINESの海のカメラマンが長い間、撮り溜めてきた水中映像です。

普段はとても無口で穏やかに行動するカメラマンですが、海に入るやいなや、とても活発に動き回ります。

 

 

 

 

海の生き物たちはそんな彼に自分たちに似た波動を感じるせいか、素の表情を見せてくれ、通常では滅多に撮れない貴重なシーンも映像に収めることができます。

 

 




そして、ミツバチやチョウチョ、巣を作る蜘蛛の目線にまでなりながら、日常の風景をいとおしむように切り取る森のカメラマンの映像。

 

 


 

それに、私自身が世界を旅する中で出会った忘れられない光景を織り交ぜながら、自分がクジラになったつもりで旅のものがたりを綴りました。

 

それは、現実的な旅とは違いますが、自分の過去を憶い出す時間の旅でもあり、見たことのない世界を想像する宇宙の旅でもあり、未来を想う希望の旅でもありました。

 

 






思えば、7年の間に、ベースをニュージーランドに移すなど物理的な環境が変わったこともあり、なかなか新作をアップできませんでした。

違う国で根を張って生きるのは、思っていた以上にハードで、まさに生きていくだけで精一杯な日々。映像制作に向かう余裕は正直ありませんでした。

 

そんな中、現地のフィルム・フェスティバルで賞をいただいたく嬉しいハプニングがありました。未来の子どもたちへ向けて淡々と物語を綴っているようでも、やはり、誰かに観て喜んでもらうのは嬉しいものだと感じました。

 

 

そして、今回、ずっと旅するように暮らして来た自分が、初めて、思った以上に日本に長く立ち止まり、自分にとって本当に大切なものに改めて目を向けました。

 

なかなか新作をアップできないにもかかわらずKISANA LINESを見守ってくださっている方々、今もなお支え続けてくれているスタッフに感謝の気持ちがどんどん溢れて来ました。

 

 

これからは、今まで以上に、KISANA LINESに寄り添って生きていこうと想いを新たにしています。

 

未来へ届ける「眼差し」を映像の物語として紡ぎながら。

 

 

KISANA LINESのものがたり「くうのお絵かき」の主人公 Fuuyanmから素敵な

メッセージが届きました。

 

 

 

 

ー「KISANA LINES」は、そこかしこに遍在する神さまを丁寧につむいでいっているのだなと、みんなの愛の結晶なんだなあと思いましたー

 

 

 

 

 

 

これからも、どうか、よろしくお願いします。

 

KISANA LINES  映像作家

 

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なじょすべ

 

ニュージーランドと日本の間を往復する日々が続いています。

 

 

 

 

そんな中、機内で映画をよく見ます。

ニュージーランド航空のオンデマンドはコメディ、ドラマなどのカテゴリーの上に

新作とトレンディの項目があり、注目作品がピックアップされています。

 

この時期、そのトレンディの中のトップに置かれているのが「チェルノブイリ」。

約1時間のエピソード5話からなるドラマなのですが、まさに5時間もの間、

ノンストップでその映像に釘付けになってしまいました。

 


 

 

33年前に旧ソビエト連邦(現ウクライナ)で起こった原子力発電所の爆発事故を

テーマに、真実をあぶり出すように描かれたドラマ。

 

事故直後の対策の遅れ、事故による影響を最小限に食い止めようと身を呈して働く人々、放射能汚染がまるで見えない暴力のように人々を蝕んでいく様子は、2011年に日本で起こった福島の原発事故を彷彿とさせる内容で、おそらく日本人であれば誰もが身につまされるであろうリアリズムに満ちています。

 

なぜなら、「チェルノブイリ」は33年前に起こったことを忠実に再現した『ドラマ』ですが、日本では今この瞬間にも誰かがあの事故現場で働いてくれていて、だからこそ我々が通常の生活が送れているという『現実』の中に私たちが生きているからです。(もちろん、チェルノブイリも未だに様々な問題が進行形です。)

 


 

 


事故から8年、普段の生活の中で福島の原発事故のことを思い出し、そこで働く人々に思いを寄せる人がどれだけいるでしょう。

 

 

 

今、現実に起こっていることなのに風化させていく。

 

 

 

その寂しさの中で、事故後の福島の様子を写真におさめ、福島の今を詩に綴っている二人がいます。

 

関久雄さん(詩)と 山本宗補さん (写真) 。

 

 

 

 

 

胸を打たれるのは、関さんの詩が誰をも責めていないことです。

 

 

 

ペットボトルの水道水

福島市が売り出した

すると、世間はこう 言うんだ

カルト そのもの もう犯罪

ストロンチウムは 測ったの

プルトニウムは 出てないの

フクシマは 封鎖しろ

 

なじょ すべなあ

 

 

 

「良い」「悪い」で測るには大きすぎるほどの事故。

 

避難する人としない人、福島のものを避ける人と風評被害に苦しむ生産者さん。

 

事故は人々を分断し、そこに争いや憎しみが生まれました。

ネガティブな感情が、分断する壁をどんどん分厚くしていきました。

 

 

 

 

 

 

廃炉作業も進まない中、冷却のために増え続ける汚染水。

 

その汚染水を海に流す計画まで始める狂った行政。(ここ、ニュージーランドでもこの件は大きな話題になっています。人ごとではないのです。海はつながっているのですから。)

 

解決策が見つからない苛立ちから免れようと、事故を過去のものとして見ないようにする人々の心理。

 

 

でも、現実はそこに生々しくあり、今も様々な問題で苦しんでいる人が多くいます。

 

当時の事故に直接、関わりのなかった人々も命がけで事故の処理に当たってくれています。

 

 

 

 

ここにいる私たちには具体的に何もできなくて、途方にくれてしまいます。

 

 

でも、一つだけ、確実にできることがあります。

 

 

それは、『忘れないこと』。

忘れないで、寄り添って、自分のこととして感じること。

避けないで、『見続けること』なのだと思います。

 

 

関さんの詩はこう続きます。

 

 

おめえさん方よ

悩む こころに 沿うてくれ

オレたちに 優しいのは

痛みを 分かつ こころだよ

 

 

 

 

 

 

 

人が素晴らしいなと思うところがあります。

 

それは、

 

喜びは、シェアする(分かつ)ことで、どんどん膨らみ、

悲しみは、シェアする(分かつ)ことで、軽減されること。

 

 

 

 

 

 

人は誰かに悩み事を相談されたとき、

 

「頑張って!」と励ましたり、

解決策を一緒に考えたり、

意見を言ったりしてしまいがちですが、

 

 

 

いちばん、優しいのは、

 

 

聞いてあげること。

 

黙って寄りそうこと。

 

一緒に感じながら、見守ることなのだと思います。

 

 

 

文:KISANA 映像作家

写真:森のカメラマン

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