サウダーデ / もののあはれ

 

 

話題になったので

知ってる人もいると思いますが

 

「翻訳できない世界のことば」

 

という本がすごく面白くて

何度も読み返しています。

 

 

 

 

 

アメリカ人のイラストレーターが、

モロッコ、イギリス、スイスなどで

暮らした経験をもとに

 

英語では一言では言い表せない

世界中の言葉を

イラストで説明しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょうど

 

ポルトガル出身の

ジョゼ・サラマーゴ(ノーベル文学賞受賞作家)が

 

晩年に書いた「象の旅」

(ポルトガルからオーストリアまで

歩いて旅をした象の話で史実をもとに書かれたもの。

この作品の執筆中から亡くなるまでのサラマーゴを追った

ドキュメンタリー映画もすごくよかったので、

今度、紹介したいと思います。)

 

を読んでいたら

 

その中に「翻訳できない世界のことば」の中の一つが

出てきました。

 

 

 

 

 

 

 

「SAUDADE サウダーデ」という言葉です。

 

 

音の響きがなんとなく意味を表してるように思うのですが

 

正解を知る前にまずは発音してみてください。

 

 

「SAUDADE サウダーデ」

 

 

どうですか?

 

 

ちょっと物悲しくないですか?

 

 

 

 

 

 

 

意味は、

 

心の中になんとなくずっと持ち続けている

存在しないものへの渇望や、

 

今はなき愛した人やものへの郷愁の想いで、

 

 

単に誰かや何かを惜しむというよりも

もっと強い感情なのだそうです。

 

 

そもそもインドから連れてこられた象と象使いが

かつて味わったことのない

アルプスの雪山の凍えるような寒さの中

歩き続ける「象の旅」にも

 

 

この「サウダーデ」という

どこか諦めにも似た

 

達観したかのような哀感が

織り込められていました。

 

 

 

 

 

 

 

ポルトガル 人のアイデンティティとも言われる「サウダーデ」。

 

自国だけにとどまらず、

ブラジルでは

毎年1月に「サウダーデ」の日というのがあるほどで、

 

 

ポルトガル語の「サウダーデ」という言葉は

植民地となった国々にまで

その言葉があらわす感覚とともに定着しました。

 

 

 

 

 

 

大航海時代には

スペインと世界を2分したと言われるほどの

強国だったポルトガルの人々が

 

 

「サウダーデ」という

ある種満たされない思いを心の中に秘めていたのかと思うと

不思議が気分になります。

 

 

 

 

 

 

もしかしたら、欲望のまま世界中を制覇しても

埋めることができなかった心の飢えのようなものが

この言葉を生み出したのかもしれないですね。

 

 

 

 

 

 

 

日本によく似た感情を表す言葉があるかなと探して

思いついたのが

 

 

「もののあわれ」ということばです。

 

 

 

 

 

 

 

 

平安時代に活躍した作家達に影響を与えた

美的理念や価値観で

 

 

四季に移ろいゆく風情や

男女や親子、友などの間の情愛や離別、

哀惜などによって生じる、

しみじみとした情緒や気分をあらわしています。

 

 

 

特に、紫式部によって書かれた「源氏物語」には

「もののあはれ」という情感が

全編を通じて濃淡豊かに描かれていて

 

物語にそこはかとない香りや艶を与えています。

 

 

「もののあはれ」

 

 

日本人の心象を表す

 

美しい響き

 

 

なくしたくない言葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時、頭をよぎったのが

 

 

これらの特別な「感情」や「感覚」は

 

それを表す「言葉」の消滅と共に

 

失われてしまうのか?

 

 

 

という疑問です。

 

 

 

 

 

 

 

「もののあはれ」 という言葉は

今では誰も日常的には使わないので

 

古典や歴史小説などに残ることはあっても

 

 

言葉としては忘れ去られるかもしれません。

 

 

では、その時に

 

 

私たちの中にある

 

「もののあはれ 」を知る情感や感覚も

 

なくなってしまうのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

そして、さらに、違う疑問が湧いてきました。

 

 

「人の情感や感覚は

時とともに変化するのだろうか?」

 

 

 

 

 

 

 

日本では

縄文時代から現代に至るまで

文化、生活様式などの変化とともに

 

言葉も変化してきました。

 

 

 

 

 

 

江戸時代と明治時代、

そして現代とでは

言葉遣いは違いますし

 

ここ数年でも、

どんどん新しい造語が生まれては

消えていってます。

 

 

 

果たして、それに伴い

 

私たちの感情や心の中も

 

変化しているのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚

いわゆる五感と呼ばれる感覚は

縄文時代の人と私たちで違うのでしょうか?

 

 

 

嬉しい、悲しい、愛おしい、寂しい、切ないなどの感情は

どうなんでしょうか?

 

 

時代によって

感じる対象は変化しているとは思いますが、

 

感じ方まで変わっているのでしょうか?

 

 

 

現代の科学では、

 

心が感じていることを

 

 

その時の脳波や、細胞の振動、分泌物の量などで

測る方法はあるかもしれないですが

 

 

 

過去の人については、

 

 

今に伝わる「言葉」の中にこそ

 

その言葉が生まれた頃の感覚が

託されているのではないでしょうか。

 

 

 

環境や気候によって

どんどん

ある部分だけが繊細に細分化したり、

 

逆にシンプルになったり、

 

 

その土地土地で

生まれ、育まれた「感覚」が

 

 

いつしか、

 

 

「翻訳できない世界の言葉」のような

他国の言葉では表せない独自の「言葉」に

なったとしたなら、

 

 

 

 

 

その「言葉」の中に

 

過去の人の「感覚」が

 

息づいていることになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「言葉」は方舟のようですね。

 

 

 

 

 

 

 

挨拶の時に交わす言葉も

国によって意味あいが違っています。

 

 

フィジーでは道ですれ違う時

 

みんな「ブラ!」と

元気よくてをふって、

 

笑顔で挨拶し合います。

 

 

「ブラ」の意味は

「生命」だそうです。

 

まさに生命力が溢れる挨拶です。

 

 

 

 

 

 

ミクロネシア のマーシャル諸島の

「こんにちは」は

「ヤグエ!」です。

 

 

「ヤグエ」とは

 

「あなたは虹」

 

という意味なんだそうです。

 

 

 

なんて素敵な挨拶なんでしょう。

 

 

 

 

 

 

毎日といっていいほど、

綺麗な「虹」が架かるマーシャルでは

 

「虹」が暮らしとは切り離せない

大切なものなんだなと

 

すごく感動したことを覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

「翻訳できない世界のことば」の中には日本語もいくつか書かれていました。

 

 

「木漏れ日」「わびさび」「ぼけっと」の3つです。

 

 

 

 

 

 

 

このうちの「木漏れ日」という言葉の

英訳が難しいことは

 

去年、KISANA LINES 映像図書館に並んだ作品

 

「Theatres in New Zealand」

 

の翻訳を

ニュージーランド人の友人に手伝ってもらってる時に

気づきました。

 

 

 

 

 

 

 

友人は、さんざん悩んだ結果

 

「木漏れ日」のことを

 

「Spot Lights among trees」

 

と訳しました。

 

 

 

 

 

 

「木漏れ日」を一言で表す言葉がないので

 

4つの言葉を使って説明したのです。

 

 

 

逆にイギリスの言葉で一言で言えるのに

 

日本語ではいくつもの言葉を重ねないと

説明できないものもあります。

 

 

イギリスを構成する4つの国の一つ、ウエールズに

 

 

 

 

 

 

「HIRAETH」(ヒライス)という言葉があります。

 

 

もう帰れない場所に

帰りたいという気持ちを表すそうです。

 

 

世界中にたくさんの植民地を持っていたイギリスの人は

国民を植民地に移住させようとする政府の思惑のもと

故郷を捨てた人も多くいたのでしょう。

 

 

遥か海の向こうの祖国を想って、

この言葉を呟いていたのかもしれないですね。

 

 

ちょっと「サウダーデ」にも似ています。

 

 

 

 

 

今、暮らしているニュージーランドには

世界のあちこちから人々が移住していて

 

オランダ語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、

そして、先住民のマオリ語と太平洋の島々の人たちの言葉、

 

本当に多くの言葉が飛び交っています。

 

 

 

 

 

時々、言葉でわかり会えないもどかしさを感じることはありますが

 

 

同じ風景を見ていても

 

きっと

それぞれ違う出身国の人で感じ方は違うのだろうなと思うと

 

 

一つの空間に世界がいくつもあるみたいで

嬉しくなります。

 

 

 

 

 

 

「翻訳できない世界のことば」の作者である

アメリカ人のエラ・フランシス・サンダースが

 

日本語の「ぼけっと」という言葉の説明の中で

 

 

 

「日本人が

何も考えないでいることに名前をつけるほど

それを大切にしているのが素敵」

 

と書いているように

 

 

 

 

 

 

「言葉」は、その言葉を話す国々の人にとって

生活の中で使う必要性が頻繁にあり、

 

且つ大切にしている

 

感情や感覚、状態についたもの。

 

 

 

 

 

 

 

他の国の言葉を学ぶことは

 

価値観だけでなく

その言葉を話す人の心の風景を見るような

 

 

 

 

 

 

 

ワクワクする、

 

そして、ちょっとドキドキする

 

 

 

 

 

 

 

冒険旅行なんだなと思います。

 

 

 

 

 

 

「サウダーデ」という感覚を味わいに

久しぶりにポルトガルに行ってみたくなりました。

 

 

 

+ + + + + + +

 

 

 

ニュージーランドにて、

 

 

 

 

バイリンガル で、バイカルチャルなヤングカップル

(二人とも、ニュージーランド人&日本人の両親を持つ)と、

 

ニュージーランドを縦断する旅のものがたりの撮影を始めています。

 

 

 

秋ぐらいから

 

 

KISANA LINES映像図書館の作品の仲間入りができそうです。

 

 

 

 

お楽しみに!

 

 

 

文:KISANA LINES  映像作家

 

 

 

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