見守る者
ニュージーランドに「カウリ」というナンヨウスギ科の巨木がたくさん立つ森があります。
その森の中、ひときわ大きな老木「タネマフタ」。
ニュージーランドの先住民マオリの人たちが「森の神様」と呼ぶ木です。
樹齢2000年以上とも言われ、屋久島の縄文杉の姉妹樹にも指定されています。
ある時、「タネマフタ」を代々、見守るマオリのご家族を撮影する機会に恵まれました。
穏やかな笑みを浮かべたエルダー(長老)のグレイスさんが森を案内してくださいます。
目の前に現れた「タネマフタ」。
幹の円周は13.8m。高さは51m。自ら枝を落としながらまっすぐに聳え立ち、
幹の一番上で大きく枝を広げています。
枝という枝に、たくさんの種類の植物が着床し、
その中を鳥たちが飛び交い、実をついばんだり、巣を作ったりしています。
そこはまるで、もう一つの森。
グレイスさんは「タネマフタ」が
「森の生命」を守ってくれていると話します。
そして、その「タネマフタ」を「見守る」ことが、
グレイスさんの家族に代々受け継がれてきた役目。
ポリネシア語に属するマオリ語はどこか日本語の響きにも似ていて、
人を家に招き入れる時に「ハイレ、マイ」と言ったり、空のことを「アオ」、
食べ物のことを「カイ」と呼ぶなど、親しみを感じます。
そんなマオリの人たちが大切にする言葉に「カイティアキ タンガ」があります。
「カイティアキ」は「守る者」という意味で、
人も自然の一部として、生まれながらに環境を守る役割があるという
マオリの人たちの理念を現す言葉です。
日本風に言うと、「世話役」みたいな意味あいでしょうか。
グレイスさんの家族にとっては、「タネマフタ」のお世話が
「カイティアキタンガ」です。
私は、グレイスさんを撮影しながら、「お世話」とは具体的にどうするのですか?
と訪ねました。
たとえば、水をやったり、育てたり、剪定したりするには、木は大きすぎるからです。
グレイスさんは
「見続けることです」
と静かに答えました。
ただ、「見る」ことが大切な「仕事」で、
そのために自分は生まれてきたのだと。
「見る」ことは「守る」ことで、
見ていることで、守られるものがあるのだと。
「タネマフタ」の上にある森の中を一瞬風が吹き抜けました。
木の葉を揺らす音、小鳥たちが嬉しそうにさえずる声とともに、
グレイスさんの言葉は、そこにいるすべてのものに響き、
そして、残されました。
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地球に生まれた人間の役割はなんだろうと、よく考えます。
ミツバチが花の蜜をすうことで、花粉を運ぶように、
鳥たちが実をついばむことで、植物の繁殖を助けるように、
美しい調和が保たれる自然の循環の中で、
人という生き物の本来の働きとはなんなのでしょう。
人はいつも何かを作っています。
そして、まじめに作れば作るほど、
一生懸命に働けば働くほど、
山は消え、空気も水も汚れていきました。
他の生き物も巣をつくったり、食べ物のために罠を作るもの、
捕食するもの、されるものがありますが、
自分たちの環境を壊すような愚かなことはしていません。
そう思うと、人の性がほんとうにせつなくなります。
でも、人には自然を壊すことなくできる役割が一つあるように思います。
それが「見守る」ということ。
「見る」ことは、その対象物に必ず何かの影響を及ぼします。
グレイスさんの家族は「見る」ことで、
「タネマフタ」が心ない人に切られてしまうのを実際に守って来たのです。
目に見えないですが、見守るという優しいエネルギーは「タネマフタ」を含む森全体に
何かしら良い循環をもたらしてきたのではないかと思うのです。
それこそが、人の持つ素敵な能力なのではないでしょうか。
映像をうつしとり、つむぐのが「カイティアキタンガ」の私たち。
カメラという目で見ることは、とても強い「力」が働きます。
「何を見るのか」
「どこを見るのか」
「どう見るのか」
カメラで見ることが、
全ての物に「喜び」の「光」をあてるものになりますように。
すべてのものを輝かせますように。
そして、それで守られるものを、大切に未来につないでいこうと思います。
KISANA LINESは今日で4歳になりました。
見守って頂いていることに感謝を込めて。
文:kisana(映像作家)
写真:森のカメラマン、マークアップエンジニア