長い眼

 

 

公園の横に住んでいます。

 

朝起きると、まずは、窓を開けて

公園を見渡します。

 

13階に住んでいるので、

木々の天辺を見下ろす感じです。

 

春は、若い葉っぱが

どんどん上に向かって伸びていくのを

毎朝 確認するのが楽しみです。

 

 

 

 

 

今日は 雨模様です。

 

 

 

 

 

空を見上げると、

どんよりとした雲が折り重なって

灰色のグラデーションになっています。

 

 

 

 

 

今日は、光合成ができないね~

と、いつものように木に話しかけました。

 

 

すると、雨水を垂らしながら

うなだれているように見えていた木が

 

まるで違をとなえるように

風でぶるんと揺れました。

 

 

「今日は、お水をもらえる日なのよ」

 

 

というささやき声が聞こえた気がしました。

 

 

 

 

 

「ああ、そうか」と

突然のように腑に落ちました。

 

 

 

「光」か「水」か

どちらかだけなんです。

 

 

 

木にとって「光」と「水」は

どちらも大切な栄養分ですが、

 

 

同時に 両方を

得ることはできないのです。

 

 

それを 当たり前のこととして

静かに立っている木を見ていると

 

 

 

 

 

 

改めて 人間の貪欲さに思い至ります。

 

 

人間の文明は、いつだって両方を

手に入れようとします。

 

 

 

 

 

 

必要なものは、今すぐ 全部

欲しいのです。

 

そのためには

自然をねじ曲げることさえも厭いません。

 

 

他の生き物からしたら

迷惑な厄介者ですよね。

 

 

 

 

 

 

 

気づかれている人も多いと思いますが

 

「欲」というのは

決して満たされることがありません。

 

 

一つの「欲」が満たされた瞬間に

もう何かが足りない気持ちになって、

 

次の「欲」が現れます。

 

 

 

 

 

 

「欲」は お金や物への欲にとどまらず

 

 

「支配欲」「名誉欲」「仕事欲」

「承認欲」「自己顕示欲」「達成欲」

「開発欲」「開拓欲」「創作欲」etc

 

 

現代に生きる人の営みのほとんどは

「欲」につながっています。

 

 

 

 

 

 

そして、人間が、欲望のままに

 

 

働けば働くほど

 

努力すればするほど

 

 

山が削られ、

 

川や海が汚れ、

 

空気が淀んでいきます。

 

 

 

 

 

 

「欲」で動いている限り、

 

人は、一生、

 

満たされることがありません。

 

 

 

 

 

 

この延々と繰り返される

「欲」のループから

 

いったい、どうやったら

人間は出ることができるのでしょうか。

 

 

どうしたら、人は満足できるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

あるがままを受け入れている木。

 

 

 

木はなんと満ち足りているのだろうと

 

つくづく思いました。

 

 

 

 

 

 

木から学ぶことは  とても多いです。

 

 

 

+++ +++ +++ +++ +++

 

 

 

ニュージーランドの

先住民マオリのエルダーから 学んだことを

伝える旅をしています。

 

 

 

 

 

代々、木を見守るという役割を持った家に生まれ、

木とともに暮らしてきたグレイスさん。

 

 

 

 

 

 

言葉にならないグレイスさんの想いに

心を重ねるようにして

 

毎回、話しています。

 

 

 

親から子、孫へと、

時代を超えて見続けることが

 

人の役目だという

 

マオリの教え。

 

 

 

 

起こっていることの

 

本質を捉え、

 

判断し、

 

解決策を実行するには、

 

 

 

一世代が見たことでは

短すぎるのです。

 

 

 

「長い眼」をもつこと。

 

 

 

 

 

 

とても、大切なことだと思っています。

 

 

 

+++ +++ +++ +++ +++

 

 

 

先月はご縁をいただいた徳島で、

 

短編映画「木を見守る人」の

上映+お話し会の6回目を開催しました。

 

 

人前で話すのは まだまだ慣れない中、

多くの人に支えてもらいながら

拙い歩みを続けています。

 

 

集まってくださった皆さまと

手伝ってくれた仲間たちに

 

この場を借りて

心から感謝させていただきます。

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、

大好きなグレイスさんの言葉を。

 

 

 

 

「人は、生まれた時から

 

 そのままで

 ありのままで

 

 他者を助けている」

 

 

 

人は、何かのためにとか、

生産性を上げなくては  とか、

 

日々、強迫観念や恐怖や欲望から

行動しています。

 

あるがまま(自然)に

感謝して

生きることができれば

 

 

人は欲から開放されて

 

 

本当の意味で満たされることが

できるのではないかと

 

 

グレイスさんの言葉が

私の道しるべになっています。

 

 

 

文:KISANA LINES 映像作家

CATEGORY: お知らせ

木にくるまる

 

 

 

九州にある楠の原生林を歩きました。

 

 

 

 

楠は、日本各地の神社で見かけることが多いですが、

原生林としてはここが北限なのだそうです。

 

家の近くにも御神木としての楠が立っていて、

前を通りかかるたびに手を合わせるので

自分にとっては親しみのある大好きな木です。

 

 

 

 

 

そんな楠が、何百本も、しかも自然に立ち並んでいると聞いて

楽しみに山を登りました。

 

 

 

 

 

ちなみに、日本は国土の67%が森林で

世界の中でも緑の多い国ですが、

そのほとんどが植林されたりなんらかの形で人の手が入っていて、

原生林と呼べる手付かずの森は4%しか残されていません。

 

原初の頃から続く森に分け入ります。

 

 

 

 

 

様々な形や大きさの楠が乱立しています。

 

 

 

 

 

これまでに持っていた楠のイメージは

「どっしりと構えた優しいお母さん」でしたが、

ここに生えている楠たちは

自由に好きな方向に手を伸ばす、

なんだかおてんば娘たちのようです。

 

 

 

 

カメラを持って森に入ると、

いつもカメラが自然との橋渡しをしてくれているような

気がします。

 

 

 

 

ファインダーを覗くと、

普段、見せないような表情を森が見せてくれるのです。

 

 

キラキラと緑の葉の上を遊ぶ光のしずく。

 

 

 

 

 

時には雨でもないのに、

本当の水のしずくが木の上の方から落ちてくることもあります。

 

 

 

 

 

 

森を歩くと、自分のどこかが

どんどん研ぎ澄まされていくのがわかります。

 

 

 

 

 

 

目や耳や鼻などの器官が鋭敏になるというよりは、

 

 

皮膚のちょっと外側にある、

自分を纏ってるセンサーのようなものが

何かを捉えることに意識を向ける感覚です。

 

 

 

 

 

 

 

その感覚に導かれるように、

その方向にただレンズを向け続ける。

 

 

 

そして、レンズ越しに対話するように

木々の表情を撮りながら歩きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原生林の奥まったところで、

「孫の木」と書かれた巨大な楠が待っていてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

「待ってくれていた」と書いたのは、

その木をみた瞬間、

なぜか「間に合ってよかった」と聞こえた気がしたからです。

 

 

「長い間、待っていてくれて ありがとう。」

 

 

太い幹のそばまで行って、そっと手を触れました。

 

 

 

 

 

 

いつも楠に感じる「優しさ」に加えて、

なんだか懐かしい感じもします。

 

 

ー私たちと同じように呼吸をして生きている大きな生き物が

そこに立って出迎えてくれているー

 

 

そんな、あたたかな気配です。

 

 

 

 

 

 

しばらく孫の木と再会を喜び合うような時間を過ごしたあと、

 

孫というからには、

おばあちゃんがどこかにいるはずだと探すと、

 

山の斜面を少しだけ降りたところに、

一際、大きな木が立っています。

 

 

 

 

 

 

節くれだった手で孫たちをあやしてるような枝々。

 

 

 

 

 

 

 

おばあちゃんの木のそばに立っていると、

なんだか抱っこされているような安心感に包まれます。

 

 

 

 

 

 

見上げると、木の上にはわさわさと葉っぱが茂っていて、

そこはまるでAnother Forest。

 

 

もう一つの森で暮らす鳥たちの声も聞こえます。

 

 

 

 

 

 

 

しばらく森の中にたたずんでいると、

私のセンサーがあることに気づかせてくれました。

 

 

 

 

 

 

足元に波打つ鼓動。

 

 

私が立つ地面の下に

木々の根っこがどこまでも広がっているのを

リアルに感じることができたのです。

 

 

 

 

 

 

手を広げてくれているようなおばあちゃんの木の枝と、

この張り巡らされた根っこで、

 

私はその時におばあちゃんの木に

実際に、抱っこされていたのだと思います。

 

 

 

 

 

 

斜面の上にある孫の木の根っこと、

おばあちゃんの木の根は、

きっと、地面の下で重なり合っていて、

 

養分と一緒に、

おばあちゃんの知恵も

孫たちに受け継がれているのでしょう。

 

 

 

 

 

 

見えている部分だけが木ではないのですよね。

 

 

 

木の枝の先々に芽ぶく葉っぱから、

太くて力強い幹、

そして、地面の下を這う根っこまで全部が木で、

 

 

 

 

 

 

 

私たちは、地球上で、

木にくるまれて生きているのですね。

 

 

 

+++++++

 

 

 

 

この時に撮った映像を日記風の小編にまとめましたので、

良かったら見てください。

 

https://kisanalines.com/stories/series/happyplanet/happyplanet_03/

 

 

 

これからも、旅先で感じたことを

映像日記に綴っていきたいなと思っています。

 

 

これからもよろしくお願いします。

 

 

 

 

文:KISANA LINES 映像作家

写真:Ryohei Iwaki

CATEGORY: お知らせ

なぜ花は匂うか

 

 

3月になりました。

風の中にふんわりと春のいい匂いがします。

 

 

 

 

 

撮影で世界各地を旅をしましたが、思い出には必ず匂いがセットになっています。

 

 

 

ポルトガルの海辺の町の裏通りでは七輪のようなものでアジが焼かれていて、日本の田舎の昔懐かしい匂いが漂っていました。

 

 

 

 

 

 

燻された煙の香りに出会うと、

どんよりと雲が垂れ込める平原に、ピート(スコッチの原料であるモルツをいぶすために使われる植物が堆積した土)がいたるところに掘り返されているスコットランドの風景を思い出します。

 

 


 

 

 

ヒョウがインパラを襲い皮を裂くのを見た時に嗅いだ強烈な血の匂いは、

サバンナで見た降るような星空とセットになって身体の奥に染み付いていています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日本植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎さんの書かれた「なぜ花は匂うか」という本を読んでいます。

 

 

 


 

 

牧野富太郎さんは小学校を中退し、野原の植物に独学で学び、やがて東大で理学博士として植物分類学の研究に打ち込むまでになります。

 

「私は植物の愛人としてこの世に生まれてきたように感じます」と言われているように人生を植物の研究に捧げ、94年の生涯で収集した植物の標本は約40万枚、蔵書は4万5千冊もあり、1957年には文化勲章も受章されています。

 

 

 

 

 

 

一つの花に雄しべと雌しべがあるのに虫たちに他の花の花粉を運ばせるのは、雄しべと雌しべの発育のスピードが違うからで、これで近親での結びつきを避けているとか

 

菊の花はひとひらひとひらが一つの花でそれぞれに雄しべと雌しべがあるとか

 

葉脈に沿っていかに水が根元まで運ばれるとか

 

 

 

観察することによって蓄積されていった牧野さんの知恵に目を開かれる思いです。

 

 

 

 

 

 

さて、その「花はなぜ匂うのか」の本の中に、私がこのブログでも何度か書いている長年のテーマ「人間の本来のかたちとは」のヒントになる記述を見つけました。

 

 

「植物は人間が居なくても少しも構わずに生活するが、人間は植物がなくては生活のできぬことである。そうすると、植物と人間を比べると人間のほうが植物よりも弱虫であるといえよう。」

 

 

「人間は植物に感謝の真心を捧ぐ冪である。」

 

 

 

まさに、その通りだと思います。

 

 

そして、思いました。人間がいないと困る生き物はいるのかなと。

 

 

 

 

 

 

確かに、稲や芋などは人間が主食にしたおかげで繁栄した植物だと言えます。

ですが、収量は人間によってコントロールされ、あげくに交配や遺伝子組み換えまでされて人間のコントロール下におかれています。

 

 

人間以外の生き物で、他の生き物をこんな風にコントロールしているものっているでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

弱肉強食と言われる食物連鎖の関係性で言うと、ある意味、強者は弱者に支えられて存在しています。

 

ですから、強者は必要以上に弱者を犠牲にしません。

 

 

 

 

 

 

子孫を残すことが使命のすべての生き物にとって自分たちの生命線を絶つようなことをすれば、種が存続できなくなるのですからそんなバカな真似はしませんし、

 

 

考えてそうなっているのではなくそれぞれが本能のままで生きているだけでバランスが取れているのが自然の素晴らしさで、自然(地球)そのものが大きな生命体なのだと思います。

 

 

 

 

 

 

地球に住む生き物はすべて、自然から生まれました。

 

自然にはそぐわない生き物は、いずれ消滅するでしょう。

 

 

恐竜がそうでした。

 

 

人間は恐竜と同じように滅びてしまうのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

自然に必要だと思ってもらえる生き方をしたいと思います。

 

 

人間がいることで、他の生き物に感謝してもらうように生きるにはどうしたらいいのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

自然にとって有効なもので、人間にしかできないこと。

 

 

 

それこそが、人間の本来(自然)のカタチなんだと思います。

 

 

 

「本当の人間」探し。

 

まだまだ道なかばですが、大切なヒントをもらった気がします。

 

 

 

 

 

 

 

「花は黙っています。それだのに花はなぜあんなに綺麗なのでしょう?

なぜあんなに快く匂っているのでしょう?

思い疲れた夕など

窓辺にかかる一輪の百合の花を

じっと抱きしめてやりたいような思いにかられても

百合の花は黙っています。

そしてちっとも変わらぬ清楚な姿でただじっと匂っているのです。」

 

 

牧野富太郎「花はなぜ匂うか」(1944年82歳)より

 

 

 

 

 

文:映像作家 桐子

写真:森のカメラマン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CATEGORY: お知らせ

ウミガメ

 

新しい年になりました。

みなさんはどんなお正月を過ごされたでしょうか。

私は新年にたくさん本を読もうと、テーブルの上に本を積み上げて、読書に勤しんでいます。

今、読んでいるのは、友人に頂いた「ウミガメは100キロ沖で恋をする」です。

 

 

 

とても興味深いです。

卵からかえった稚ガメは海の藻に揺られてしばらく漂流し、成長したら餌のある海で暮らし、産卵時期が近づくと恋をするために沖へと向かいます。

 

 

 

 

ウミガメの種類は全部で7種類。

そのうち、一番大きなオサガメは、タイトルにもあるように、ビーチから100キロ離れた沖で恋に落ちて卵を身ごもり、自分が生まれた浜に戻って卵を生むそうです。
パプアニューギニアのオサガメの例では、産卵後、カリフォルニア沖までの1万2千キロもの旅をし、それを2~3年ごとに繰り返すのだそうですが、何故、そんなにも移動するのか詳しいことはわかっていないのだそうです。

ウミガメの研究を45年続けてきた作者 菅沼弘行さんの「保護」という言葉は大嫌いだ!という言葉からスタートする真摯で正直なウミガメ論。

実際に世界中で保護活動が盛んなところほどウミガメが減少しているのだそうです。

 

 

もちろん、ウミガメが減少した原因は人間の欲で、そのことに対する憤りも書かれていますが、私が菅沼さんの書かれている内容に惹かれるのは、ウミガメの生態は未だ謎に包まれているにもかかわらず、短絡的な判断をして保護活動をしてしまう人間に対して警笛を鳴らされているところです。

 

 

 

 

保護のためにウミガメの卵を移植するところが多いですが、ウミガメのオス・メスは卵の孵化中の温度で決まるらしく(一定の温度より高いとメス、低いとオス)、卵を移動させることでそのバランスを壊してしまうことになるそうです。

 


また、卵の孵化はすでに母ガメのお腹の中で始まっていて、一旦それを止めて砂に産みつけられた後、また孵化が再開されるそうですが、その際の卵の向きが非常に重要で、移植する時に角度が変わると孵化しないのだそうです。

 

他にも、ウミガメの保護活動という名のもとに行われている卵の移植や稚ガメの放流などが、保護どころかウミガメをどれだけ減らすことにつながっているか、その事例を菅沼さんは細かく検証されています。

 

 

そして、ウミガメが減少している最大の要因は、産卵するための砂浜が地球上から減少していることです。

 


 

 

話が少しそれますが、昨年、ニュージーランドの先住民が主人公の「木を見守る人」という短編映画の上映と、映像で伝えきれなかったエピソードをお話しするイベントを沖縄と奄美大島で合計3回、開催しました。

 

 

 

 

前回も書いたのですが、その映画の主人公のグレイスさんは代々、先住民マオリの人々が大地の神様として敬うカウリの木を見守る家族に生まれ、生涯を通してカウリの木々が茂る森の傍に住み、木に寄り添うように人生を送って来られました。

 

 

 

 

撮影当時、すでに80歳を超えておられたグレイスさんが言いました。

守るというのは、手を出さす、ただ見守ることだと。

 

森を保護しようとする現代の動きに対して、グレイスさんは辛口でした。木を枯らす虫を殺すために薬剤を使う保護活動は却って森の循環を破壊する。

歳をとった木が倒れることで若い木が育つ。森は自らそうやって循環してきた。

病気も一つのプロセス。人には森を保護することができないどころか、森に守ってもらってる立場なんだよ。

 

 

静かに話すグレイスさんの言葉が私の中にずっと響いています。

 

 

 

人間の一生は木々よりずっとずっと短いのです。

たかだか数十年、観察したぐらいでは自然の全体像は見えません。

だからこそ、先住民は代々、その役割を次世代に送り継いでいくのです。

人の一生分だけでは、何も判断ができないのを知っているのです。

これこそが先住民の叡智です。

 

 

 

 

実は、ここからが本題で、その上映会のために訪れた奄美大島で、心にとまる事柄があり、動画を制作し発信しています。(ご興味がある方は、YouTubeのsave katokuチャンネルを検索してみてください。現在、episdoe.3まで公開しています)

 

 

 

 

シダやマングローブなど亜熱帯植物が鬱蒼と茂り、天然記念物に指定される生き物もたくさん生息している自然豊かな奄美大島は、最近、ユネスコの世界自然遺産に指定されました。

 

世界遺産に指定されたのは陸上部ですが、クジラたちが子育てにくる海も本当に美しく、サンゴ礁にたくさんの魚たちが舞うように泳いでいます。

 

 

 

 

こんなに素晴らしい海に囲まれた奄美大島ですが、

自然な浜が残されている海岸は稀少で、集落のある海岸のほとんどがコンクリートの防波堤で囲われてしまっているのが実情です。

 

 

そうです。ウミガメが産卵できない浜になってしまっているのです。

 

自分の生まれた浜で産卵しようと遥か沖合いから泳いで帰ってきたのに、その砂浜がなくなってしまっていたら、ウミガメは一体どこで産卵すればいいのでしょう。

 

 

取材では、ビーチの砂がなくなってしまうメカニズムを大学の先生に詳しく話していただきました。

 

海岸の砂浜は常に移動しています。

川から流れた砂が海岸線にたまり、その砂が波にさらわれ沖へと移動し、また戻ってくる。これを繰り返しながら、川と海が重なる場所に自然な砂浜が出来上がります。

 

 

 

 

その生きている砂浜に固いコンクリートの堤防を立ててしまうと、川からの砂も堰き止められ、コンクリート前の砂は波に流されていき、どんどん浜が痩せていきます。

 

 

 

 

砂が大きな波を受け止めるクッション材になっていたのに、その砂がなくなったことにより、大波が堤防に直接 当たり、堤防前の砂はさらにえぐりとられていきます。

 

 

 

 

このように、砂の重要性を世界中が再認識している中、奄美大島の今や最後の自然が残された海岸とも言える嘉徳ビーチで、護岸工事が始まろうとしています。

 

 

 

 

住民の方々の中には、祖先が残してくれた素晴らしい景観を壊したくないと護岸工事に反対する人もいますが、多くの住民は賛成をしました。

集落を守るためにはコンクリート護岸しか方法がないと説明を受けたためです。

 

遥か昔からこの地を大きな波から守ってきてくれたのはこの砂浜なのに、そのことの理解が得られないまま取材を重ねるうちに、賛成派と砂浜を守ろうとしている人々が衝突する場面に出くわしました。

 

砂浜を守ろうとしている人々は、この地に住む他の生き物を含む自然の素晴らしさを訴えます。

 

それに対して、住民の一人が投げ捨てるように言った言葉が胸に刺さりました。

 

 

「私たちは自然と戦ってきたんです。台風の夜は大波が怖くて眠れません。

自然は敵なんです。そんな憎い自然を守りたいなんて全く思いません。」

 

 

 

 

 

その時、思い至りました。

確かに人間は歴史上、ずっと自然に争って生きてきたのかもしれないと。

 

 

丸腰では他の動物に負けてしまう人間は、武器を生み出し自らを守りながら、やがては自然や動物を支配し、人間独自の文明を築き上げました。

今では人間同士がその武器で戦っています。

 

まさに今の人間の文明は、自然に抗うことがベースとなっているのです。

 

 

 

 

人間は、いつの間に、自分たちも自然の一部なのだということを忘れてしまったのでしょう。

 

ニュージーランド先住民のグレイスさんが言うように、私たちは守られている側なのだということをいつから信じようとしなくなってしまったのでしょう。

 

 

ライオンやペンギンは、お腹が空いたからといって、自然に抗い自分たちの生き方を変えようとしていますか?

 

 

 

 

 

 

アフリカの草食動物は移動する時は必ず一列に歩きます。

自分たちの食べ物である草を潰してしまわないようにしているのです。

 

 

地球上全てのものがあるがままにいることで調和のとれた循環をする。

その完全調和の仕組みのことを自然と呼ぶのです。

そこには、もちろん人間も含まれています。自分たちこそが自然なのだから、自然を殺すことは、自分を殺すことになるのがどうしてわからないのでしょう。

 

 

この人類の道が行きつく場所は一体どこでしょう?

 

 

幸せな未来が想像できますか?

 

 

 

 

 

 

全てのものは瞬時であったり時間をかけるものなど差はあっても、お互いの微生物が入れ替わり絶えず他者と循環しています。

物理的にも科学的にも、すべてのいのちは一体なのです。

この精妙な「いのち」というシステムの中に我々は生きています。

 

 

「いのち」の輪からはみ出して生きていくことなど、自然の一部である私たちにはできないのです。

 

 

 

 

 

 

よく、もう、過去には戻れないという人がいます。

そうでしょうか?

 

 

地球が生まれてから45億年も経つ中で、我々 ホモ・サピエンスが生まれたのは

たった20万年前のことです。

産業革命以降、自然を壊し始めたのがおよそ200年前。

45億年の中のたった200年です。

 

 

今、私たちが分岐点まで戻って本来の道を歩み直さないと、そう遠くない未来に自然の自浄作用が起こってしまうような気がしてなりません。

 

 

 

 

 

 

新年早々、ネガティブな話になってしまいましたが、ポジティブに変えていける力を私たちは持っているのだということを信じています。

 

 

+++    +++    +++    +++    +++    +++    +++

 

 

さて、今年も各地で上映会を開催する予定です。

日程が決まりましたら、会員の皆さまにはメールでお知らせいたします。

 

 

そして、新年最初のニュースです。

三年がかりで制作したオーガニック花園のものがたり が完成しました。

タイトルは「オーガニックな花が咲かせる しあわせのお話」です。

 

 

 

 

 

本編は、舞台となった吉垣花園のイベントで今後、上映される予定ですが

ダイジェスト版をKISANA LINESの姉妹サイト「ひとつぶのものがたり 」の方に

アップいたしました。

 

 

 

代々続く花園の3代目が、ご家族との話し合いの末(ご両親、息子さん二人、娘さん一人、愛犬)、オーガニック農法に切り替えられ、紆余曲折がありながらも今は食卓に飾っても安心なお花を全国に届けられています。

 

*実は繊細なお花は傷みやすく、少しでも虫のあとがあれば花屋さんで売れないことから大量の農薬がかけられています。化学物質中毒で苦しむのは、美容師さんと花農家さんだとよく言われています。

 

 

取材中、吉垣家のご家族みなさんの笑顔が素晴らしくて、お花を撮るのを忘れて笑顔を撮るのに夢中になってしまったほどでした。

 

オーガニックなお花を育てることは、こんなにも素敵な笑顔を咲かせることなんだなと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

笑顔を未来に繋いでいきたいという吉垣家の思いを映像に紡いだ作品。

ぜひ、ご覧いただければと思います。http://onepiecestory.com

 

 

 

 

 

これからも、未来への眼差しと日々の暮らしの中から生まれる愛おしいものがたり を、目に見えない想いとともに映像で紡いでいけたらと思います。

 

 

文:KISANA LINES 映像作家 桐子

 

CATEGORY: お知らせ

木を見守る人

 

 

8月9日は世界先住民の国際day。

そんな日に、沖縄にて、KISANA LINES映像図書館の「上映会+旅のおはなし episdoe.1」を開催させていただきました。

 

 

 

 

 

 

会場は那覇にある大好きな「Book&Cafe hall ゆかるひ」さん。

オーナーのセンスが光るセレクトで集められた本に囲まれながら、地元オーガニック野菜をたっぷり使ったお食事やスイーツが味わえるカフェです。

 

 

 



実はここは本だけでなく、種もストックされていて、SEED libraryとして種を借りることができます。

 

 

 

 

借りた人は種を植え、育てて、次世代の種を採取して返すシステム。

沖縄の固定種を未来に届けたいというオーナーの想いが詰まった素敵な試みです。

 

 

 

 

 

このBook&cafeに隣接するhallも木の温かみがある心地のいいスペース。

大きなスクリーンに、木でできたデッキのようなステージがあって、とにかく、全てがナチュラルなホールです。

 

 


 

 

集まってくださったみなさまも、ゆかるひさんの活動に賛同される方たちはじめ、KISANA LINESの想いに共鳴してくださった方が多かったおかげで、

緊張でうまく話すことのできない私を最後まで優しく見守ってくださいました。

 

 

 

 

 

さて、今回、上映した作品のお話です。

 

Openingには、KISANA LINESの「声ものがたり」の「宇宙(そら)ごよみ episdoe.2 森のかみさまと海のかみさまが結ばれて」を上映しました。

 

 

 

 

これは、KISANA LINESの様々な作品に楽曲提供をしてくださっている新屋賀子さんが作詞作曲され、自らピアノを弾き歌っておられる「いのちの地球(ほし)」という曲に、KISANA LINESの森のカメラマンと海のカメラマンが撮った映像をコラージュして作った作品。

 

 

 

 

たくさんの災害に見舞われる地球のことを心配して、ともすれば不安になる私たちですが、地球はその真ん中にあたたかなハートがあって、そこは決して傷つくことはなく、生き生きした生命力に溢れていて、逆に私たちを五色の光で守ってくれているという、新屋さんが実際に見た夢を元に生まれた音楽。

 

その音楽に寄り添うように、森と海は別れていなくて、大きな地球という生命の巡りの中でひとつにつながっているのだというKISANA LINESのコンセプトを重ね合わせ、静謐な水をたたえた屋久島の森を縦糸に、海の生き物たちを横糸にタペストリーのように映像を紡ぎました。

 

ちなみに、新屋賀子さんは、この「いのちの地球(ほし)」という曲を1000人で合唱するというプロジェクトを進められています。1000人の美しい歌声が未来まで響きわたれば素敵ですね。

詳しくは「いのちの地球1000人合唱」で検索してください。

 

 

続いて、今回のイベントの主題である「木を見守る人」。

 


 

 

実は、この物語の主人公、ニュージーランド先住民マオリのグレイスさんは十数年前にテレビの旅番組の取材で撮影させて頂いたことがありました。

 

番組撮影時、グレイスさんのお話ひとつひとつの意味深さに、〝この言葉は次の世代にまで受け継いでいかなくてはいけない。いつか、もう一度、撮らせてもらおう〟と、心の中で誓いました。

 

 

そして、グレイスさんに再会する時がやってきました。

 

 

 

 

グレイスさんは、すでに、この時、80歳を超えておられていて、歩くのも辛そうでしたが、私の願いに応えるために、森の長老と呼ばれる木のところまで案内してくださいました。

 

 

 

 

グレイスさんは、森の木々を守る役目を代々担う家族に生まれ、

生まれた時からずっと森のそばに住み、木々と一緒に暮らして来ました。

 

 

 

 

全てのマオリの人には生まれた時から何かを守る役割があり、その役割のことを

「カイティアキタンガ」と言います。

 

 

私はグレイスさんに「グレイスさんのカイティアキタンガである木を守る」とは具体的に何をするのですか?と尋ねました。

 

 

 

すると、グレイスさんは言いました。

「ただ、そばにいて、見続けるのです」と。

 

 

 

 

 

 

 

手を出さず、ただ見続ける、それだけで守られるものがあることをグレイスさんは

時々、マオリ語を交えながら話してくださいました。

 

 

 

 

 

 

我々は、守るために過剰に保護したり、つい何か行動をしようとしてしまいますが、例えば、虫が増えて木が倒れても、それは大きな森の循環の中で起こっていること、

 

生も死も森の一部で、我々も森の一部として守られ生かされている立場なのだから、ただ大地の上に座り、見て感じていればいいとグレイスさんは言いました。

 

 

感じたことは大地を通して、森に伝わり、

 

必ず未来にまで伝わるからと。

 

 

 

 

 

 

人は長生きしても100年余りの命です。

樹齢数千年の木を代々見守ってきた家族だからこそ見えるものがあり、その言葉には真実があると思いました。

 

 

 

上映後、少しでも多くグレイスさんの言葉を伝えたくて、映像に入っていない言葉や私が知っている限りのマオリの文化について話しました。

 

 

 

 

 

 

皆さんに書いて頂いたアンケート用紙を読ませていただくと、私の拙い話でも、響いてくださった方が多かったことを知り、本当に嬉しく思いました。

 

 

 




 

 

 

 

集まってくださった方それぞれに感じてくださった想いが、タンポポの綿毛のように風に乗って旅を続け、いつか未来で花を咲かせればいいなと願います。

 

 

 

 

 

 

今日のブログは、ホールを貸してくださったゆかるひさん、イベントに集まってくださったみなさま、手伝ってくれた沖縄の仲間たちへのお礼の気持ちを込めて書きました。

 

 

 


 


 

 

 

 

 

マオリの人々は太平洋の島々を航海したアイランダーです。

沖縄の人々の伝統や習慣に近いものがあると感じます。

いつか、沖縄の物語も映像に紡がせてもらいたいなと思います。

 

episdoe.2、グレイスさんのお孫さんのお話も、完成したら、ぜひ、沖縄で上映させてください。

 

 

ありがとうございました。

 

 

文:KISANA LINES映像作家 桐子

写真:アニー梅本

CATEGORY: お知らせ

マタリキ

 

今日はニュージーランド先住民マオリの人々の新年「マタリキ」です。

 

マタリキとはプレアデス星団のこと。

日本では「昴」として知られていますが、プレアデス星団は数百もの恒星が

集まってできている星団で、肉眼でも6つは確認できます。

 

 

 

 

 

 

そのプレアデスが夜明け前、ニュージーランドの東北の空に上がってくる日を

マオリの人々は新年として家族が集まってお祝いをします。

 

南半球のニュージーランドでは6月から7月にかけては冬の寒さが深まる時期で、

マタリキを祝う1週間は、亡くなった人の魂を尊び、送り出すのだそうです。

少し、日本のお盆にも近い感じでしょうか。

 

 

 

 

 

 

日本では24節気など太陽の位置によって季節を図りますが、

マオリの人々は星に寄り添って生活しているのですね。

 

星を道標に航海し、1000年ほど前、ニュージーランドに

たどり着いたマオリの人々にとって、

夜空の星々はまさに命綱のような存在だったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

全くの私見ですが、私が旅した世界の中で、

 

空に一番近い場所だと感じたのがペルーの山岳地帯で、

 

 

 


 

 

宇宙に一番近いと思ったのが、ニュージーランドでした。

 

 

 

 

 

 

ニュージーランドの夜空を初めて見たときは、その星の数の多さに圧倒されました。

 

草むらに寝転がって星の瞬きに目を奪われていると、

自分が宇宙にいるのだとリアルに感じられます。

 

 

 

 

 

 

だから、私にとってニュージーランドは宇宙に一番近い場所なのです。

 

 

 

ニュージーランドの星が美しいのは、ニュージーランドの夜が暗いからです。

 

 

 

「星空保護区」という

国際ダークスカイ協会という機関が、暗く美しい夜空を保護・保存するために

2001年に制定した国際認定制度があります。

 

認定を受けるためには、屋外照明に関する厳格な基準をクリアすることや、

地域における光害に関する教育啓蒙活動が求められ、

現在では10万平方kmの夜空を保護してるそうです。

日本では、西表島や神津島、もちろん、ニュージーランドも保護区に入っています。

 

 

星空を保護区にするなんてロマンチックだなと思いましたが

逆にいうと、保護しなくてはなくなってしまう危険性があるからだと思うと

複雑な気もします。

 

 

日本はもうすぐ七夕。

 

少しでも広くて美しい星空を未来の子どもたちに残してあげられたらと思います。

 

 

 

文:KISANA LINES 映像作家

写真:森のカメラマン

 

 

CATEGORY: お知らせ

覚え書き

 

 

2021年3月11日。

 

 

「あれから10年、痛みを忘れずに、、、」

というキャッチコピーがよく目につくここ毎日でした。

 

家族を奪われ、家や住む場所を失い、変わることを余儀なくされた人にとって、

「忘れないで」という言葉はどのように感じるのでしょうか。

10年経ち、やっとの思いで悲しみからの一歩を踏み出せた人も多いでしょう。

そんな方達にとってみれば、「忘れないで」と言われるまでもなく、

今も、忘れたくても忘れられない大きな痛みなのだと思います。

(少しでも、その痛みに寄り添えればと心から願います。)

 

 

 

 

では、「忘れないで」いなくてはいけないのは誰なのか、

それは、痛んでいないほうの人たちだと思います。

 

そして、痛んでいない人に向けることばは「忘れないで」ではなく、

「まずは、知って欲しい」です。

 

 

 

 

まだ原子力発電所は、動いているものも、止まっているものも合わせて

全国に19箇所も立っています。

全てが海沿いに建てられ、冷却水は海に放出され続けています。

海の生き物たちは、否応なく、今この瞬間にもその水を飲み続けています。

今なお、危険な場所で仕事をしたり、暮らしている、人やほかの生き物も

たくさんいることを、まずは知って欲しいと思います。

 

 

+++ +++ +++ +++ +++ +++ +++

 

 

今日、自分の人生におけるこの10年のことを振り返り、

見つめ直す時間を持たれている人も多くおられると思います。

 

 

 

 

KISANA LINESを応援してくださってる方々の中には、都会から地方に移住し、環境に調和した新しい生き方を選んだ人も多いかと思います。

 

自分たちの食べ物を自給できるところまできてる人にとっては、努力の甲斐があった10年だったと思います。

 

 

 

 

この10年で地元のご年配の方たちと良い関係が築けた人もいらっしゃるでしょう。

 

より自分にあった職場や仕事を見つけ、愛する家族やまわりの人々に喜びを与える

生き方にシフトされた方もいるでしょう。

 

 

そんな人たちも、今一度、今日は自分自身の生き方について見つめ直してみませんか。

 

 

いつしか、最初の思いの「自然との調和」より、「快適」な方へと暮らしが流されていないでしょうか。

次々と生み出されるテクノロジーに翻弄され、周りの環境を見つめる時間が減ってはいないでしょうか。

 

 

 

 

都会に住む人にとっては、いまは違う苦境が人生に押し寄せているかもしれません。

毎日の暮らしに精一杯で、自分が自然の一部であることすら、忘れてしまっている人も多いと思います。

 

 

どんな環境にいる人にとっても、よく目をこらすと、今、社会にあるすべての問題は、実は全て同じ根っこからきていることに気付かされます。

 

 

+++ +++ +++ +++ +++ +++ +++

 

 

「根っこ」自体を引っこ抜くのは個人の力では、なかなか容易いことではないでしょう。

 

ただ、我々にできることがあります。

 

それは、とにかく「目を向ける」こと。

 

まわりの何かや、ましてや自分を責めるのではなく、

 

問題に「まなざし」を注ぎ続けること。「感じ続けること」。

 

そうしていると、必ず、「見えてくるもの」があります。

 

 

 

 

見えれば、見えたものを「表現する」ことが私たちにはできます。

それぞれの立ち位置で、それぞれが得意なことで、できることが

必ず見つかると思います。

 

 

+++ +++ +++ +++ +++ +++ +++

 

 

年末、どれだけ一生懸命に大掃除をしても、1週間もすれば、自然と埃は積もるし、窓ガラスは曇ります。

綺麗さを保とうと思うと、こまめにに掃除をし続ける必要があります。

 

修行をして「覚醒した」と思っているお坊さんでも、覚醒しているためには、修行し続けていないといけないといいます。

 

それと同じで、自分の心の中や生き方もいつも注意していないと、やっぱり汚れたり、散らかったり、曇ったりするのだと思います。

 

 

+++ +++ +++ +++ +++ +++ +++

 

 

今日、10年前の「志」を思い出した人も、思い出したからOKなのではなく、その「志」をどうか日々、磨き続けていただければと思います。

 

これは、自分への覚え書きとして、今日、ここに書いておこうと思います。

 

 

 

 

+++ +++ +++ +++ +++ +++ +++

 

 

これから、本格的な春が始まります。

色々なものが暖かさに緩み始めます。

希望が見える季節でもあります。

 

でも、そんな時だからこそ、今年は少し、心を引き締めて、

自分の感覚に敏感でいたいなと思っています。

 

 

 

 

 

10年前の今日、KISANA LINESの骨格ができました。

見守っていただいていることに感謝を込めて。

 

 

文:KISANA LINES 映像作家

写真:かれん、Chris

CATEGORY: お知らせ

ありのままで すばらしい

 

 

2021年になりました。

 

新しい年、書き初めをされた方も多いかと思います。

私は書き初めをする習慣はないのですが、もし、書くとしたら、

 

「ありのままで すばらしい」

 

と書こうと思います。

 

これは、新年を我が家で過ごしてくれたお友達の曲のタイトルです。

 

 

 

 

私は「ギフト エコロジー」という言葉が大好きです。

 

ミツバチが自分の喜びのために、花から花へと蜜を集めて飛び回ることで

植物の受粉を助け、結果的に生態系全ての循環が保たれていくこと、つまり、

与え合う(ギフト)ことで成立する生態系(エコロジー)という意味の言葉です。

 

この地球上の全ての生命は、「生きる」ことで、他者のために役立つように、元々、生まれついています。

 

生態系とは、持続可能にデザインされた宇宙の壮大な設計図のようなもの。

 

 

 

 

人間という種が、この持続可能な生態系の設計図の中でどうあるべきか。

今や、私の生きるテーマになっているかのように、繰り返し、ここにも書き続けている気がします。

 

なぜなら、現在の人間という種がまるでコンピューターがエラーを起こしているかのような行動をとっているからです。

 

 

 

 

競争社会や資本主義経済は、有限なものを貪り、搾取する世界。

そこに健全な循環は生まれません。

 

私たちの種の存続が危ぶまれるだけでなく、生態系を全滅させてしまう危険性を孕んでいます。

 

 



 

 

貧富の差が広がり二極化が進む現代社会に対抗する人々は「ユニティ(統合、融合)」を理想郷として掲げます。

ですが、私は、全ての人が同じになる必要はないと思っています。

 

みんなが、違いを持って生まれてきているのですから、違うギフトを持っています。

だとしたら、それぞれが持っているギフトを順に巡らせていくと、素晴らしく豊かな世界が生まれるのではないでしょうか。

本来の設計図は、そのようになっているはずです。

 

 

 

 

衣食住を賄うための交換ツール(お金)を得るのが得意な人がいれば、不得意の人もいる。

衣食住に必要なものを自分の手で作り出すのが得意な人もいる。

 

それが違いであり、それぞれの特性。

 

それを同じにするよりは、持っている人が持ってない人へと順にギフトをしていく。

それだけで、健康的な循環が生まれると思います。

 

その世界の中で、一体、誰が得をして、誰が損をするというのでしょう。

 

循環の輪の中では不公平は生まれません。円に始まりも終わりもないように。

 

 

 

 

全てのものがお互いの違いを非難するのではなく、認め合って、受け止め合って、

さらには、その違いを楽しむことができれば、この世界から競争や戦争はなくなるでしょう。

 

 

「あなたは、ありのままで完全であり、ありのままで すばらしい」

 

多様性を認め合う世界への歩みがさらに進む2021年になりますように。

 

今年もよろしくお願いします。

 

 

 

文:KISANA LINES 映像作家

写真:高橋華蓮

CATEGORY: お知らせ

タイムマシン

 

 

 

 

紅葉の見頃も終わり。

公園のイチョウの木の下には黄色の絨毯が敷き詰められています。

踏むと、カサッ カサッと乾いた音がします。

 

上を見上げると 青空をバックに1枚のイチョウが ヒラリと舞い落ちて来ました。

木からの贈り物のように感じて嬉しくなりました。

 

 




+++ +++ +++ +++ +++ +++

 

 

先週は京都の鞍馬の山を歩きながら、たくさんの巨木、古木たちに出会いました。

 

樹齢800年のご神木を眺めながら、この木は、このあたりを駆け巡っていた牛若丸(源義経の幼名)がなくなった頃に芽を吹いたのだなと感慨に耽りました。

800年もの間、誰かに撫でられたり、話しかけられたり、よじ登られたり、その間にいくつもあった戦争だって見て来たのでしょう。木は全部を受け止めて静かにそこに立っています。

 

 

木って、まるでタイムマシンのようだなと思います。

 

 

 

 

 

 

+++ +++ +++ +++ +++ +++

 

 

アメリカ人で日本に住む詩人のアーサー・ビナード さんが、ラジオの番組で作家・

三島由紀夫について話していました。

 

ちょうど、今年の11月25日で亡くなって50年。

 

三島由紀夫といえば、政治的な側面が取り上げられることが多いですが、

アーサーさんは三島由紀夫の文学者としての才能を高く評価していて、彼ほど日本語を愛していた人はいなかったと言います。

 

このままだと日本語がなくなってしまうのではないかという危機感を三島由紀夫は常に抱えていて、そのことが彼を政治活動へと向かわせたのではないかと。

 

アーサーさんはアメリカ人ですが、日本語をすごく愛していて、日本人以上に美しい日本語を話され、詩も日本語で書かれています。

そして、三島由紀夫に想いを重ねるように、「何があっても絶対に日本語をなくしてはだめなんだよ!」と、とても強い語調で話されました。(ピンと来ない人も多いかもしれないですが、アーサーさんは、この先、日本語がなくなってしまう可能性があることを本気で心配されているのだと思います。それは、はるか未来の文化人類学的な話ではなく、政治的世界観に基づく近未来についてです。もちろん、そうならないことを誰よりも願ってのことですが。)

 

その後にアーサーさんが話された言葉がとても印象的でした。

 

「僕にとって『言葉』は過去の人と話す『通信機』なんだ。だから、言葉をなくしたら、もう昔の人と通信できなくなってしまうんだ。。。」

 

最後はとても悲しい口調でした。

 

 

 

 

 

これまでにも何度か書きましたが、私も「言葉」は過去の人の思いを乗せた船で、

言葉が詰まった「本」はまさしくタイムマシンだと思っているので、アーサーさんのおっしゃってる痛みが胸の奥底まで響きました。

 

 

 

最近、新刊を出された私が尊敬している絵本作家の阿部海太さんも

 

「著者の行ったことのない場所へ本は先にたどり着く。

著者が死んだ世界を本は生き続ける。

僕の絵本よ。このまま距離も時間も越えていけ。」

 

と書かれていて、まさに、、、と思いました。

 

 

 

過去に生きていた人も、今、私たちが少しでもより良い未来になるように願っているのと同じように、たくさんの想いを未来にいる私たちに送ってくれていたのだと思います。

 

未来を見据え、未来のために尽力し、志半ばで力尽きてしまった人も多くいたはずです。

 

本を開くと、過去の人が感じていたこと、見ていたもの、その頃の世相など、色々なことが伝わって来ます。

 

 

 

 

 

私たちは、今、突然にここにいるわけではありません。

 

過去の人が植えてくれた樹を切って、家を建て、

過去の人が植えてくれた樹から、柿や栗などの恵みをいただいています。

 

 

 

 

 

もし、過去の人が未来のことなど気にせず、

 

海の魚を全て捕り尽くし、

山や森の木々を伐採して丸裸にし、

虫や動物は皆殺しにして標本にし、

植物や野菜は種を加工して工場で大量生産され、

川や池の水は悪臭が漂い、

マスクをしないと外を歩けないほど空気はウィルスだらけで、

空は灰色なのが常識で、、、

 

 

もし、祖先がこんな地球を私たちに残していたと想像してみてください。

 

 

 

 

私たちは、どんな地球を未来の人たちに残してあげることができるのでしょう。

 

 

+++ +++ +++ +++ +++ +++

 

 

KISANA LINESは7世代先、300年先の人にこの愛おしい地球にある全ての自然を見て欲しくて始めた映像図書館です。

 

それは、それが残っていないだろう未来のために、記録として残しておくというのが趣旨ではありません。

 

未来の子どもたちに、300年前に生きていた祖先がどれだけ未来に生きる人たちのことを想って、どれだけ本気でこの美しい地球を大切にしていたかを知ってもらえるような物語を残そうと想っているのです。

 

 

 

 

 

どうか、未来にもっと眼差しを向けてください。

 

今の私たちの行動全てが未来に繋がっていることを常に意識してください。

 

 

 

 

 

いつか未来の子ども達が、透き通った海を泳ぎながら美しいサンゴ礁にうっとしり、ああ、祖先(私たち)の人たちが大切にしてくれたおかげで、この美しさを味わえているんだな~、僕たちもこれを綺麗なまま未来に残してあげよう、、、

 

と想ってくれるように。

 

 

 

 

今夜は満月。

そして、明日から12月。

2020年もあと少しで終わります。

 

 

文:KISANA LIENS 映像作家

CATEGORY: お知らせ

自然でいること

 

 

早いもので、今日はもう秋分です。

(9月22日の夜に書いています。)

 

あんなに暑さにあえいでいたのが嘘のように、もう朝晩は肌寒く、、、

季節の変わり目の突然さに取り残されないように、

走って追いつこうとして、転んで、泣いたり、笑ったり、

 

 

 

 

そんな私たちを乗せて、地球はどんな時も絶え間無く回り続けています。

太陽も、月も他の惑星たちも、宇宙全体が、ずっとずっと動き続けています。

 

 

 

 

この世界には、止まっているものは何もありません。

じっとしていても、私たちの細胞は常に振動しているし、

私たちが自分の体だと思っているものも、

分子がくっついたり離れたり常時入れ替わっているので、

実は、数ヶ月前の自分の体はもうここにはありません。

毎日のように私たちは生まれ変わっているのです。

 

そういう意味では、山も動いているし、森も動いています。

 

 

 

 

では、全てのものをこうやって動かしているのはいったい誰なんでしょう。

 

 

それが自然なんですよね。

 

私たちは自然に生まれてきたし、自然に土や空気に還ります。

紛れもなく、私たちは自然の一部です。

 

 

 

 

 

それなのに、人類の歴史を振り返ってみると、そのほとんどが自然に対抗したりコントロールしようとしてきた歩みに思えてなりません。

山や森を切り崩し、我々の命綱である空気や水を汚し、生態系を破壊する。

 

人間以外に、自然に逆らっている生き物っているのでしょうか。

 

人間て、ほんとうに変な生き物ですよね。

 

 

 

 

全てのものは、そこに生きているだけで、それぞれの働きがあると思います。

ただ座っているだけでも、私たちは息をしています。

私たちが吐いた二酸化炭素を吸って木々は生きています。

 

目に見えなくても、自覚していなくても、すべてのものは自然な働きをしています。

 

 

 

 

 

病気になった人の家の周りに、その病気に効く薬草がはえると言われるように、

陰陽の法則しかり、

俯瞰で見ると、全てはバランスを保つように、めぐりめぐって影響し合ってるのだと思います。

 

それが自然の働きなのだとしたら、自然を邪魔せずにいることこそが、

まわりのため、ひいては地球を助ける、最善の生き方だとわたしには思えます。

 

 

自然には、はかりしれない力があります。

 

私たち人間が作りだした不自然な環境は、必ずや自然の状態に戻されます。

その揺り戻しの力が破壊的なものになるまでに、あまり時間は残されていないように思えます。

 

 

 

 

では、いったい、私たちが最も自然であるのはどんな状態なんでしょう。

 

これは、とても難問で、前にもここで書いたことがあります。

ライオンがライオンであるように、ペンギンがペンギンであるように、

人間が人間である自然のかたちとはいったいどういうものなのか。

 

 

 

 

ペンギンは、もしかしたら、海の中で魚を捕まえる技術は日々の努力で上達しているかもしれませんが、ペンギン自身の本来の力以上に頑張ることはしないと思いますし、ペンギンがペンギン以上の能力を持ってしまうと、ペンギンではなくなってしまうでしょう。

それに、もちろん、ペンギンが異常なほど漁が上手くなれば、海の中の秩序は乱れてしまいます。

 

 

 

でも、もし、ペンギンが漁の能力を少しあげ、ほかの魚たちも逃げる能力を少しあげたなら、そこにはバランスが生まれるのかもしれません。

 

冒頭に書いたように、すべてのものがいっときもとどまることなく変化を続けている世界で、まわりのものとバランスをとりながら、それぞれのパフォーマンスを上げていくことができたとしたら、それは、まさに、フリーエネルギーのように、スパイラルに循環していけるのかもしれないですね。

 

でも、それが果たして自然なことなのか。。。

考えだすと、わからなくなります。

 

 

ただ、自然にいること。

 

 

それは、考えることと対極にあるものなんだろうと思います。

考える能力を進化させてきた人間にとっては、それが、一番むずかしいことなのかもしれません。

 

後戻りをせずに、自然の輪の中に還るために、新たな知恵が必要です。

 

 

 

2020年9月22日の22時31分が今年の秋分点。

その時間に世界中の多くの人たちが、瞑想をしながら平和を祈ったそうです。

 

「思考」の世界から距離をとる「瞑想」には一つの可能性があるように思えます。

 

コントロールすることを手放すこと。

委ねること。許すこと。慈しむこと。愛おしむこと。

 

少し、宗教的だったり、哲学的だったりに聞こえるかもしれませんが、

私は人間本来の自然な状態は、愛でいることだと信じています。

なぜなら、自分が愛に満ちていると、自分自身の内側がとても心地いいので、

まわりをコントロールしたり、破壊したり、攻撃したりしようとは思わないのです。

自分自身が調和しているのを感じます。

 

その状態で、まわりを見渡してみると、自然なものと不自然なものがはっきりと見えてきます。

そうすれば、不自然なものをどんどん手放していくのも簡単になる気がします。

 

最近、私は「氣を使う」かわりに「愛を使う」ようにしています。

いろいろなことがすごくスムーズに動きます。

調和や自然への第一歩かなと思います。

 

+++ +++ +++ +++ +++ +++ +++

 

今月中にオーガニックなお花を育てる花農園さんの少し長い作品をリリースするつもりでしたが、3月に咲くあるお花のカットをどうしても入れたくなって、来年まで待つことにしました。

 

そのかわり、稲穂が色づく9月の半ば、岡山でKISANA LINESの上映会をしていただいた時の会場が、まるで天空の城「ラピュタ」を思わせる見渡す限りの緑の山の上にある素晴らしい場所だったので、先にその物語を紡ごうかなと思っています。

古民家を再生しながらパーマカルチャー(持続可能な農業)を営む人たちの物語です。

今しばらくお待ちください。


 

KISANA LINES 映像作家

 

CATEGORY: お知らせ