なじょすべ

 

ニュージーランドと日本の間を往復する日々が続いています。

 

 

 

 

そんな中、機内で映画をよく見ます。

ニュージーランド航空のオンデマンドはコメディ、ドラマなどのカテゴリーの上に

新作とトレンディの項目があり、注目作品がピックアップされています。

 

この時期、そのトレンディの中のトップに置かれているのが「チェルノブイリ」。

約1時間のエピソード5話からなるドラマなのですが、まさに5時間もの間、

ノンストップでその映像に釘付けになってしまいました。

 


 

 

33年前に旧ソビエト連邦(現ウクライナ)で起こった原子力発電所の爆発事故を

テーマに、真実をあぶり出すように描かれたドラマ。

 

事故直後の対策の遅れ、事故による影響を最小限に食い止めようと身を呈して働く人々、放射能汚染がまるで見えない暴力のように人々を蝕んでいく様子は、2011年に日本で起こった福島の原発事故を彷彿とさせる内容で、おそらく日本人であれば誰もが身につまされるであろうリアリズムに満ちています。

 

なぜなら、「チェルノブイリ」は33年前に起こったことを忠実に再現した『ドラマ』ですが、日本では今この瞬間にも誰かがあの事故現場で働いてくれていて、だからこそ我々が通常の生活が送れているという『現実』の中に私たちが生きているからです。(もちろん、チェルノブイリも未だに様々な問題が進行形です。)

 


 

 


事故から8年、普段の生活の中で福島の原発事故のことを思い出し、そこで働く人々に思いを寄せる人がどれだけいるでしょう。

 

 

 

今、現実に起こっていることなのに風化させていく。

 

 

 

その寂しさの中で、事故後の福島の様子を写真におさめ、福島の今を詩に綴っている二人がいます。

 

関久雄さん(詩)と 山本宗補さん (写真) 。

 

 

 

 

 

胸を打たれるのは、関さんの詩が誰をも責めていないことです。

 

 

 

ペットボトルの水道水

福島市が売り出した

すると、世間はこう 言うんだ

カルト そのもの もう犯罪

ストロンチウムは 測ったの

プルトニウムは 出てないの

フクシマは 封鎖しろ

 

なじょ すべなあ

 

 

 

「良い」「悪い」で測るには大きすぎるほどの事故。

 

避難する人としない人、福島のものを避ける人と風評被害に苦しむ生産者さん。

 

事故は人々を分断し、そこに争いや憎しみが生まれました。

ネガティブな感情が、分断する壁をどんどん分厚くしていきました。

 

 

 

 

 

 

廃炉作業も進まない中、冷却のために増え続ける汚染水。

 

その汚染水を海に流す計画まで始める狂った行政。(ここ、ニュージーランドでもこの件は大きな話題になっています。人ごとではないのです。海はつながっているのですから。)

 

解決策が見つからない苛立ちから免れようと、事故を過去のものとして見ないようにする人々の心理。

 

 

でも、現実はそこに生々しくあり、今も様々な問題で苦しんでいる人が多くいます。

 

当時の事故に直接、関わりのなかった人々も命がけで事故の処理に当たってくれています。

 

 

 

 

ここにいる私たちには具体的に何もできなくて、途方にくれてしまいます。

 

 

でも、一つだけ、確実にできることがあります。

 

 

それは、『忘れないこと』。

忘れないで、寄り添って、自分のこととして感じること。

避けないで、『見続けること』なのだと思います。

 

 

関さんの詩はこう続きます。

 

 

おめえさん方よ

悩む こころに 沿うてくれ

オレたちに 優しいのは

痛みを 分かつ こころだよ

 

 

 

 

 

 

 

人が素晴らしいなと思うところがあります。

 

それは、

 

喜びは、シェアする(分かつ)ことで、どんどん膨らみ、

悲しみは、シェアする(分かつ)ことで、軽減されること。

 

 

 

 

 

 

人は誰かに悩み事を相談されたとき、

 

「頑張って!」と励ましたり、

解決策を一緒に考えたり、

意見を言ったりしてしまいがちですが、

 

 

 

いちばん、優しいのは、

 

 

聞いてあげること。

 

黙って寄りそうこと。

 

一緒に感じながら、見守ることなのだと思います。

 

 

 

文:KISANA 映像作家

写真:森のカメラマン

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